中川翔子
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なかがわ しょうこ
中川 翔子
警察庁 令和3年 犯罪被害者週間ポスター(2021年11月)
本名中川 しようこ[1][2][注 1](出生名[注 2][3]
翔子(2023年11月 - 、姓は非公表)
別名義しょこたん(愛称)
中川薔子(旧芸名)
生年月日 (1985-05-05) 1985年5月5日(38歳)
出生地 日本東京都中野区
身長157 cm[4][5]
血液型A型[6]
職業タレント女優声優歌手漫画家YouTuberグラビアアイドル
ジャンルテレビドラマ映画アニメ
活動期間1990年 -
配偶者一般男性(2023年 - )[7]
著名な家族中川勝彦(父)
伊藤一隆(高祖父)
平野弥十郎(五世祖父)
松本恵子(曾祖叔母)
大島正満(従曾祖伯父)
浅尾慶一郎(四従兄)
水永牧子(四従姉)
事務所セントラル子供タレント(子役時代)
ジャッキー・チェン事務所日本支部(2001年 - 2002年)
ワタナベエンターテインメント(2002年 - )
公式サイトshokotan.jp
備考
公称サイズはB84・W58・H84[8]。マルチタレントとして活動し、一般的な知名度も獲得している。オタク系タレントの先駆けの1人として活動を開始した後、自身のブログが爆発的な人気を集め、「新・ブログの女王」と呼ばれた。ネット文化に影響を受けた特有の話し方はしょこたん語と呼ばれている。
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中川翔子
YouTube
チャンネル

中川翔子の「ヲ」

活動期間2020年4月 -
ジャンルエンターテインメント
登録者数94.9万人
総再生回数243,154,490回
YouTube Creator Awards

登録者100,000人2020年

チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-11-09-00002023年11月9日時点。
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中川 翔子(なかがわ しょうこ、1985年[1]5月5日[9] - )は、日本バラエティアイドルマルチタレント歌手[10]YouTuber。旧芸名は中川 薔子。出生名は中川 しようこ[1][注 1][2]、2023年4月の結婚を機に同年11月より本名を芸名と同じ翔子(しょうこ)へ改名した[11]後述。結婚後の姓は非公表)。所属事務所はワタナベエンターテインメント。所属レーベルはSony Records

「しょこたん」の愛称で知られ、2004年11月に開始したブログ「しょこたん☆ぶろぐ」で人気を博し、2006年に歌手デビュー。インターネット文化オタク的趣味が一般的でなかった2000年代中盤から、マスメディアで頻繁に2ちゃんねる用語の亜種(しょこたん語)を使用し、漫画特撮カンフーオタクとしての側面を全面に出して活動している。「アキバ系タレントの先駆け」とくくられることがあるが、本人は「レトロ、サブカル、特撮」を対象とする中野ブロードウェイ型のオタクであって、「最先端文化や萌えアニメ」に代表されるアキバ系とは「派閥が違う」としている[12]
略歴

東京都中野区出身。中野区立桃園第三小学校(現・中野区立桃花小学校)卒、東京文化中学校(現・新渡戸文化中学校)卒、大原高等学院(現・大原学園高等学校)通信科卒。幼児の頃から、芸能事務所「セントラル子供タレント」に所属し、「中川薔子(なかがわ しょうこ)」の芸名で子役として活動開始[13]

2001年、ポポロガールオーディションでグランプリを受賞。同年、誕生日記念に母・桂子の提案でジャッキー・チェンが経営する香港のレストランを訪ねた際に、チェンと遭遇し感激して泣いているとチェンが「大丈夫?」と声を掛けたことをきっかけにジャッキー・チェン事務所日本支部に所属することとなる[14][15]

2002年にはミス週刊少年マガジン2002に選ばれるも[16]、同年にジャッキー・チェン日本支部が閉じられることになり、香港まで契約解除の書類を書きに行くこととなる[14][15]。その後、11月頃にワタナベエンターテインメントへ移籍。中川曰く、「この時期は仕事がなくてクビになりかけた」というほど不遇だったという[17]。2004年11月7日、『特捜戦隊デカレンジャー』の第38話に「ファルファ星人ヤーコ」役で出演。

2004年11月より公式ブログしょこたん☆ぶろぐ』を開始。2005年3月、『考えるヒト』(フジテレビ系)にゲストパネラーとして出演。同年5月から、同番組をマイナーチェンジした『考えるヒトコマ』ではレギュラーとして出演。また、同じく5月から1年弱にわたって、TBS系『王様のブランチ』にレギュラー出演する。9月には『しょこたん☆ぶろぐ』の内容をまとめた同名の書籍『しょこたん☆ぶろぐ』をゴマブックスより刊行。2006年、ファンクラブ「ギザぴんく!」を発足。同年7月、1stシングル「Brilliant Dream」(ソニー・ミュージックレコーズ)でアーティストデビュー。

2007年6月、3rdシングル「空色デイズ」をリリース。オリコン週間シングルチャートで初登場3位を記録し、累計約7万枚。デビューシングルから3作連続で売上が上昇。10月20日には、渋谷C.C.Lemonホールで自身初のソロライブ「貪欲☆まつり」を開催。チケットは25秒で完売した。大晦日には、『第58回NHK紅白歌合戦』(NHK)に初出場し、「空色デイズ」を披露した。日本における2大検索サイトYahoo! JAPANおよびGoogleにおいて、2007年度の検索ランキング・著名人部門で1位となる。2008年5月から全国5都市6会場で全10公演(追加公演を含む)の、自身初の全国ツアーを行った[注 3]。また、8月より初の作品展「続く世界」を開催。

2009年、ファッションブランド「mmts」を立ち上げる。同年8月1日に、香港でのアニメイベント「香港動漫節2009」に出演し、初の香港ライブを行う。8月25日には、『バラエティーニュース キミハ・ブレイク 飛び出せ!科学くんSP』(TBSテレビ)の企画で、海洋研究開発機構所有の有人潜水調査船「しんかい6500」に搭乗し、岩手県三陸沖日本海溝の海底(水深5,351メートル)への着底に成功した。また、深海生物の観察と捕獲のミッションを遂行した。芸能人の「しんかい」への搭乗は緒形拳[18]以来2人目。10月24日に、初の日本武道館ワンマンライブ「中川翔子 超貪欲☆まつり IN 日本武道館」を開催。チケットは即完売した。

2010年3月3日発売の少女漫画雑誌『なかよし』2010年4月号で、原明日美作画による「中川翔子物語?空色デイズ?」の連載が開始される。同年6月3日発売の同誌2010年7月号まで連載された。8月18日、12thシングル「フライングヒューマノイド」をリリース。10作連続トップ10入りとなる。10月2日、初主演映画『恋の正しい方法は本にも設計図にも載っていない』が劇場公開。

2011年3月12日公開のディズニー映画『塔の上のラプンツェル』において、主人公ラプンツェルの日本語吹き替えを担当[注 4]。初めて長編アニメーションで主人公を演じた。10月22日、ジャッキー・チェンらと共に第24回東京国際映画祭に出演。2012年4月12日、香港政府観光局から「香港観光親善大使」に任命される。同年7月から、初のアジアツアーを開催。「2012年ベストビューティストアワード」タレント部門を受賞。

2013年5月1日、BEAMSとの共同プロデュースブランド「中川翔子×BEAMS『mmts(マミタス)』」のリアルショップが中野ブロードウェイ3階にオープン[19]。7月6日、母の桂子がTwitterで捨て猫などの保護運動を行っていることに触発されTwitterでの発信を開始[20]。2014年1月25日公開の映画『ヌイグルマーZ』に主演[21][22]

2015年3月31日、自身のエッセイ『ねこのあしあと』を基にしたテレビアニメ『おまかせ!みらくるキャット団』がNHK Eテレで開始[23]。4月29日、でんぱ組.incとのコラボレーションしょこたん?でんぱ組としてシングル「PUNCH LINE!」を発売。

2020年4月、YouTubeチャンネル『中川翔子の「ヲ」』を開設[24][25][26]

2021年6月13日に東京ドームで行われた総合格闘技RIZIN28」では、朝倉海渡部修斗戦でRIZIN史上初となる女性リングアナウンサー・実況解説者を務めた[27][28]。同年8月28日にYouTubeで公開した白ビキニの水着動画が[29]、10月19日に1000万回の再生回数を達成したことを自身のTwitterで報告し[30]、反響を呼んだ[31][32]。さらにはYouTubeチャンネルの登録者数が10万人増えて、70万人を突破したことも公表された[33][34]

2022年9月2日、全身麻酔での手術を受けることを明らかにする[35]


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