中川幸夫
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中川 幸夫(なかがわ ゆきお、1918年7月25日 - 2012年3月30日)は、日本の前衛いけばな作家。華道家芸術家。代表作に「花坊主」「魔の山」などがある。香川県出身。
経歴

敗戦直後の日本で勃興し、数年間の隆盛ののちに収束した「前衛いけ花」の活動家として知られる。この頃には中川のほかに勅使河原蒼風小原豊雲中山文甫らが同様の活動をしていた。この極めてアーティスティックな花の表現運動は「流派」という大きな流れを頂点とするいけ花界ヒエラルキーをどのように維持してゆくかに執着する動きにはあわず、「古典のみなおし」という建前によって後退、収束を余儀なくされた。中川は「流派」に属さず「流派」を持たないことで、唯一「前衛いけ花」作家でありつづける事を貫いた。

3歳のとき事故による怪我が元で脊椎カリエスにかかる。地元の小学校を卒業後、大阪の石版印刷屋へ奉公に出る。その9年後に病が悪化し帰郷。祖父と伯母が池坊に属し「いけばな」をしていたことから、叔母のもとでいけ花を始める。

戦後の1949年、創刊されたばかりの専門誌「いけばな芸術」へ送付した花の作品写真が作庭家重森三玲に認められ、世に名が知られるようになる。1951年白菜を活けた「ブルース」という作品についての見解の相違がもとで家元と衝突、『決定的に自由であるために』(中川)池坊脱退声明を表し、33歳で流派を去る。「白東社」などの合同展を経て、1968年には東京で初の個展を開催。以後は、個展のほか音楽家舞踏家等とパフォーマンスの開催をしたり、ガラス作品の制作や書も手がけた。
年譜

1918年 香川県丸亀市に生まれる。

1921年 脊椎カリエスを患う。

1932年 大阪にある石版画工房「近土版画社」に奉公、内弟子となる。

1942年 帰郷。池坊讃岐支部長を務めた祖父、その後をついだ伯母の影響で、いけばなを始める。

1944年 丸亀市の役場で兵事課に勤める。

1945年 今井實の印刷会社に終戦後から勤務。

1947年 池坊最高位だった後藤正一を京都に訪ね、立花を習得。

1949年 重森三玲作庭家)の推挙で作品が「いけばな芸術」で紹介される。

1950年 重森三玲主催の家元否定のいけ花革新集団「白東社」に参加する。

1951年 池坊脱退声明を発して脱退。個人のいけばな作家として活動を始める。

1955年 「婦人画報」11月号の中川作品撮影のために、土門拳が丸亀を訪れる。

1956年 丸亀から東京の中野に転居する。

1960年 朝日新聞の「前衛を探る」で特集される。

1966年 NHK「日本の伝統いけばな」にテレビ出演。

1978年 前年に出版した作品集『華』が「世界で最も美しい本の国際コンクール」に入賞。

1981年 NHKラジオ・人生読本「花と人」に出演。

1985年 東京セントラル美術館にて「アートフェア'85」イベントでパフォーマンスを行う。

1986年 「家元王国・知られざる日本の伝統」(中村敦夫地球発22時)テレビ出演。

1990年 第40回砺波市チューリップフェアで気球によるオブジェ制作。映画「花いける」に出演、題字を書く。

1991年 日本テレビにて「美の世界花霊を求めて・中川幸夫」放映、大野一雄と共演。

1994年 週刊朝日に「おののき」一年間連載。

1997年 NHK日曜美術館にて「中川幸夫の世界・いけ花ではないがいけ花である」放映された。  

1998年 山口県立萩美術館浦上記念館・萩にて「鏡の中の鏡の鏡」を制作。  

1999年 「織部賞グランプリ」を受賞。丸亀市文化功労賞を受賞。

2002年 第二回大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレプレイベント「天空散華・妻有に乱舞するチューリップ・中川幸夫『花狂』」十日町市博物館他・新潟。

2002年 映画「たそがれ清兵衛」(監督・山田洋次)の題字を書く。

2012年3月30日、老衰のために死去[1]。93歳没。

2014年6月7日、ドキュメンタリー映画『華 いのち 中川幸夫』公開。監督は谷光章。

展覧会

1949年

初個展「花個展 中川幸夫」大松屋百貨店・丸亀


1950年

「池坊全国選抜展」に出品 
東京都美術館・東京

「第1回香川県いけばな展」に出品 高松市美術館・高松


1952年

「第1回白東社展」に出品 三越・大阪


1953年

「西日本選抜いけばな展」に出品 岡山天満屋・岡山


1954年

「第1回モダンアートフェア」に招待出品 大丸・大阪

「第2回白東社展『白東社小品展』」に出品 大丸・大阪


1955年

「第2回モダンアートフェア」に招待出品 大丸・大阪

「第3回白東社展『白東社野外展』」岸和田城本丸八陣の庭・大阪


1956年

「第3回モダンアートフェア」に出品 そごう・大阪


1961年

「中川幸夫・半田唄子 造形オブジェ展」二人展 なびす画廊・東京


1968年

初個展「中川幸夫 個展」いとう画廊・東京


1970年

「陶・宇野三吾/花・中川幸夫 展」青画廊・東京


1975年

中川幸夫・半田唄子 二人展「ガラス器に生ける」クラタ・クラフト・ギャラリー・東京


1981年

ガラス作品の初個展「はながらす・中川幸夫展」ギャラリー412・東京


1984年

花楽としての初個展「花楽 水に花 ・中川幸夫展」銀座自由が丘画廊・東京


1985年

「はながらす中川幸夫展 花楽」新潟伊勢丹・新潟

「うぶすな中川幸夫展 はながらす」ギャラリー森・東京


1987年

「無言の凝結体・中川幸夫展」銀座自由が丘画廊・東京

第1回「聲を織るもののふたち展」に出品。中川他、天童大人砂澤ビッキ村井正誠、渡辺豊重、出品。) ギャラリーミカワ・東京


1988年


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