中川圭太
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中川 圭太オリックス・バファローズ #67
2019年3月17日 ナゴヤ球場
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府阪南市
生年月日 (1996-04-12) 1996年4月12日(28歳)
身長
体重180 cm
76 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手一塁手三塁手
プロ入り2018年 ドラフト7位
初出場2019年4月20日
年俸9000万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


PL学園高等学校

東洋大学

オリックス・バファローズ (2019 - )

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

中川 圭太(なかがわ けいた、1996年4月12日 - )は、大阪府阪南市出身のプロ野球選手外野手内野手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。阪南市ふるさと大使[2]
経歴
プロ入り前

阪南市立尾崎小学校1年時から尾崎ボーイズ、阪南市立尾崎中学校への在学中に泉佐野リトルシニアでプレー。中学3年時の2011年には、AA日本代表のメンバーとして、IBAF主催の第14回U-16世界選手権へ出場した[3]。この時のチームメイトに、淺間大基田嶋大樹立田将太などがいた[4]

PL学園高等学校へ進学すると(詳細後述)、1年秋から、一塁手としてレギュラーに定着した。しかし、チームメイトの2年生部員4名が学内の合宿所で1年生の部員へ暴力を振るっていたことが発覚(2013年2月。当時の中川は1年生であり、暴力を受けた被害者と同学年)。チームが日本高校野球連盟から6か月間の対外試合禁止処分を受け、監督の河野有道は引責辞任となった[5]。2年夏の選手権大阪大会後に処分が解除されると、校長の正井一真が新監督、二塁手に転向した中川が主将に就任。正井に野球のプレー経験がないことから、処分解除後の練習や対外試合では、中川が事実上チームを指揮していた。主将就任直後の秋季大阪府大会と、3年夏の選手権大阪大会では、チームを決勝に導いている[6]。在学中は対外試合で通算28本塁打。3年生だった2014年の秋にプロ志望届を提出したが、10月23日に行われたドラフト会議ではどの球団からも指名されなかったため、東洋大学法学部第2部法律学科[7]へ進学した[8]

東洋大学では上茶谷大河甲斐野央梅津晃大藤井聖末包昇大と同級生で、入学直後から東都大学野球の春季リーグ戦に出場。当時2部に所属していたチームを、秋季リーグ戦での優勝や、駒澤大学(1部最下位)との入れ替え戦勝利に導いた。チームが1部に復帰した2年時からは、チームの3季連続優勝に貢献。2年の秋には指名打者、3年の春・秋と4年春には二塁手としてベストナインに選ばれている。在学中には、3年時から4番打者、4年時に主将を務めながら、リーグ戦で通算101試合に出場。打率.285、109安打、9本塁打、59打点、7盗塁を記録した。また3年時の夏には大学日本代表に選ばれ第41回日米大学野球ユニバーシアードに出場。ユニバーシアードでは、大会トップの打率(.500)と打点(13)を記録し、代表チームの全勝優勝に貢献した。

4年時の2018年秋、プロ志望届を提出。10月25日に行われたドラフト会議では、オリックス・バファローズから7位指名を受け、契約金2500万円、年俸700万円(金額は推定)で契約。PL学園高校出身者として史上68人目のNPB選手となった[9]。背番号は67。この会議では、上茶谷が横浜DeNAベイスターズから1位指名、甲斐野が福岡ソフトバンクホークスから1位指名、梅津が中日ドラゴンズから2位指名を受け、いずれも入団した。中川自身は『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう』(TBSテレビ)の密着取材を受けており、同番組への出演中に自身の指名を見届けた。
オリックス時代

2019年は春季キャンプを二軍で過ごしたが、3月9日に読売ジャイアンツとのオープン戦京セラドーム大阪)で一軍にデビュー。チーム事情による1日限定の一軍昇格ながら「6番・指名打者」としてスタメン起用され、2安打1打点を記録した[10]。4月20日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天生命パーク宮城)9回表、代打で一軍公式戦デビュー[11]。一軍公式戦で初めてスタメン(7番・三塁手)に起用された4月24日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡ヤフオク!ドーム)では、3回表の第1打席で初安打を放つと、9回表の第4打席で初打点を適時三塁打で記録した[12]。以降の公式戦では、外野手クリーンアップにも起用されながらスタメンに定着。「2番・右翼手」に起用された5月10日の対楽天戦(ほっともっとフィールド神戸)5回裏の第3打席で一軍公式戦の初本塁打を美馬学から放った[13]セ・パ交流戦では全18試合に出場し、交流戦の規定打席に到達したNPB全12球団の70選手中トップの打率.386を記録。新人選手としては交流戦史上初の首位打者となった[14]。交流戦の終盤から、一軍の試合で初めて4番打者に起用された6月29日の対埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)まで6試合連続で複数安打を記録した。この記録は、パシフィック・リーグの公式戦における新人選手の連続試合複数安打記録でもある[15]。7月11日のフレッシュオールスターゲーム(楽天生命パーク)では、ウエスタン・リーグ選抜チームの「4番・一塁手」としてフル出場した[16]。レギュラーシーズン全体では、4月20日の出場選手登録から一度も抹消されず、一軍公式戦でチーム3位の111試合に出場。50試合で外野、41試合で一塁、33試合で三塁を守り、いずれも無失策で[17]、打率.288、3本塁打、32打点、9盗塁を記録した。シーズン終了後の秋季練習では、首脳陣から「来年(2020年)は三塁のレギュラー定着に向けて勝負して欲しい」と告げられ、三塁守備に本格着手。打撃面での貢献を球団から高く評価され、12月4日、推定年俸2,800万円(前年から2,100万円増)で契約更改した[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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