中島厚
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中島厚志」、「中島敦」、あるいは「中島篤志」とは別人です。

発見した小惑星
(187531) 相森中学校2006年10月20日[1]
(199287) 2006 BX542006年1月25日[2]
(262419) 須坂2006年10月20日[1]


[1]反町洋祐と共同発見

[2]黒崎裕久と共同発見

中島 厚(なかじま あつし, 1947年 - )は、日本航空宇宙工学[1][2]制御システム工学[2]。元宇宙航空研究開発機構(JAXA)主幹研究員、元信州大学特任教授[1]
人物

長野県須坂市出身[1]。1970年に信州大学工学部を卒業[3]、同大学院工学研究科に学ぶ[4]

1972年、科学技術庁航空宇宙技術研究所(現在の宇宙航空研究開発機構)に入所[3]。以後60歳まで在籍し、宇宙工学の研究に携わる[4]

画像解析によってスペースデブリなどの移動天体を検出する技術の研究を行っており[5][6]、この技術は小惑星や彗星の発見にもつながる[5][6]。2006年に入笠山光学観測所で小惑星スペースデブリを捜索した際は、小惑星センターに発見者に登録されているだけで新しい小惑星を3個発見し、ほかにも多数の小惑星の発見にかかわった[6]。同観測所では中島の出身校である須坂市立相森中学校の生徒が創立60周年を記念して観測に参加した際にも複数の小惑星が発見され、番号登録が正式になされた10年後に同校の創立70周年を記念して中学校の名や須坂市の名が命名された[7]

また、小中学生による小惑星観測プロジェクトなど、宇宙への関心を普及する活動にも従事している[3][5]

2008年に信州大学工学部に制御システムの講座が開かれると、宇宙関連(特に人工衛星)を指導する[4]。信州大学と県内企業による超小型人工衛星「Shindai Sat」(愛称・ぎんれい)の共同開発プロジェクトをマネージャとして率い、2014年に宇宙に打ち上げた[4]。「ぎんれい」は可視光通信を行う人工衛星である(可視光通信実験衛星[4]。地元長野県では「信州初」[1]「信州製」[4]人工衛星として話題になった。

2015年3月、信州大学特任教授を退任[1]
脚注^ a b c d e “須坂に「宇宙と農業資料館」?元JAXA主幹研究員の中島厚さんが自宅に開設”. 須坂新聞 (2015年11月7日). 2021年8月9日閲覧。
^ a b “中島 厚”. J-GLOBAL. 科学技術研究機構. 2021年8月9日閲覧。
^ a b c “ ⇒学びの9月特別講演「信州から宇宙へ」?信州製人工衛星「ぎんれい」の開発から小惑星の発見まで?”. プラネタリウム通信 ほしみる No.15. 松本市教育文化センター (2014年9月3日). 2021年8月8日閲覧。
^ a b c d e f “中島厚さん 信州大学特任教授/ぎんれいプロジェクトマネージャ”. ナガラボ. ながのシティプロモーション実行委員会. 2021年8月9日閲覧。


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