中山_(鹿児島市)
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 鹿児島県 > 鹿児島市 > 中山

中山
町丁
鹿児島ふれあいスポーツランド
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度32分22秒 東経130度30分26秒 / 北緯31.539417度 東経130.507111度 / 31.539417; 130.507111座標: 北緯31度32分22秒 東経130度30分26秒 / 北緯31.539417度 東経130.507111度 / 31.539417; 130.507111
日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域谷山地域
地区谷山北部地区

人口情報(2020年(令和2年)4月1日現在)
 人口12,464 人
 世帯数5,083 世帯
郵便番号891-0105
市外局番099
ナンバープレート鹿児島
町字ID[1]0110001(一丁目)
0110002(二丁目)
0191000(中山町)
運輸局住所コード[2]46500-0800(中山町)
46500-1535(中山)
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中山(ちゅうざん[3])は、鹿児島県鹿児島市町丁[4]。旧薩摩国谿山郡谷山郷中村、谿山郡谷山村大字中、鹿児島郡谷山町大字中、谷山市中町。郵便番号は中山一丁目・中山二丁目は891-0108[5]、中山町は891-0105[6]。人口は12,464人、世帯数は5,083世帯(2020年4月1日現在)[7]。中山一丁目、中山二丁目及び中山町があり、中山一丁目及び中山二丁目では住居表示を実施している[8]
地理

鹿児島市の南部、永田川の中流域に位置している。町域の北方には山田町、南方には上福元町、西方には鹿児島市春山町、鹿児島市五ケ別府町日置市吹上町与倉、東方には桜ケ丘魚見町自由ケ丘がそれぞれ接している。

町域の東部を永田川が南流しており[9]、山田町や上福元町の区域を含めて永田川から鹿児島湾に向けた扇状地となっており、水田地帯となっている[10]

町域の西部を鹿児島県道22号谷山伊作線鹿児島県道20号鹿児島加世田線南薩縦貫道)が通り、東部を南北に鹿児島県道210号小山田谷山線、中央部を指宿スカイライン鹿児島県道17号指宿鹿児島インター線)が南北に通っている。教育機関は町域の中央部に鹿児島市立中山小学校がある。
河川

永田川

滝之下川

山之田川


町名の由来

中山町は、1967年の谷山市と鹿児島市の合併までは谷山市「中町」であったが、それまでの鹿児島市にも中町が既に存在していることから、谷山市側の中町が「中山町」に改称された[11][12]。町名は鹿児島市立中山小学校の校名に由来する[13]

中山小学校の名称の由来は1887年明治20年)に中村に設置されていた辺田学館、白山小学校と山田村(現在の山田町)に設置されていた黒丸小学校を統合した[14]。この際に2つの村名(中村・山田村)から取ったことに由来する[13]

また「中山」という地名は難読地名であり、東京堂出版の『難読地名辞典』(1993年刊行)には「中山町」(ちゅうざんちょう)として掲載されている[15]
歴史
中村の成立と中世

中村という地名は南北朝時代より見え、薩摩国谿山郡の村名であった[4]至徳4年(1387年)の平忠信(知覧忠信)寄進状に「薩摩国谷山郡之内中村水田壱町」と見えるのが中村という地名の初見であると考えられている[16][4]。また、この寄進状により山田村にあった皇徳寺に水田が寄進されている[4]応永24年(1417年)の「島津存忠宛行状」によれば守護であった島津久豊が中村などの地を伊作勝久に宛がった[16]

文禄4年(1595年)の「豊臣秀吉朱印知行方目録」によって谷山郡中村山田村の3,893石余が島津義弘蔵入地とされた[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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