中山隧道展示施設として改装された坑内
概要
位置新潟県中越地方
中山隧道
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現況廃止(1998年)。文化財として保護。土木学会選奨土木遺産。
起点新潟県長岡市
終点新潟県魚沼市
運用
建設開始1933年
開通1949年
技術情報
全長922 m(貫通時)。現在は水沢新田(広神)側坑口崩壊により877 m[注 1]。
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山古志側坑口
中山隧道(なかやまずいどう)は、新潟県長岡市と魚沼市間にある国道291号の旧道の隧道(トンネル)。全長は開通時点で922 mあり[注 2]、手掘りの道路トンネルとしては日本最長である[3]。西側の坑口が長岡市山古志東竹沢、東側の坑口が魚沼市水沢に存在する[注 3] 。
1933年から1949年にかけて旧東竹沢村の小松倉集落住民の労働奉仕により作られた。1998年に並行して自動車用トンネルが開通し、以後旧トンネルは史跡として整備保存されている。新中山トンネルの建設に関しては、田中角栄の関与が知られる[4]。関連作品として橋本信一のドキュメンタリー映画「掘るまいか 手掘り中山隧道の記録」がある。2006年に土木学会選奨土木遺産に選定された。 旧東竹沢村小松倉集落(地図
歴史
開通当初、幅1.4メートル、高さ1.5メートルだった中山隧道は、その後幾度も拡幅を重ねながら人々に長らく利用され続けた。その後、時代にふさわしい新たなトンネルを求める地元住民の陳情などもあり[4]、その事業的基盤として1982年(昭和57年)に国道291号が中山隧道を通るルートに延伸された[6][4][注 5]。国道指定後、1998年(平成10年)に国道の道路改良事業によって、中山隧道に隣接する新・中山トンネルが開通し、49年間続いた生活道路としての役割を終えた[6]。その後、日本全国から貴重な生活遺産や土木遺産として活用してほしいという声が寄せられ[6]、現在は史跡として保存されるに至っている。保存当初は全線徒歩での通り抜けができたが、2015年に崩落の危険性が指摘され、補強工事等を実施した山古志側70mの区間のみが公開されており、通り抜けはできない[7][8]。
年表
1933年(昭和8年)11月12日:鍬立て式[2]