中山裕章
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中山 裕章基本情報
国籍
日本
出身地高知県高知市
生年月日 (1967-11-04) 1967年11月4日(56歳)
身長
体重176 cm
80 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1985年 ドラフト1位
初出場NPB / 1986年5月8日・対巨人[1]
CPBL / 2002年3月9日・対興農[2]
最終出場NPB / 2001年8月22日・対広島[3]
CPBL / 2003年9月20日・対兄弟[4]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


高知市立高知商業高等学校

横浜大洋ホエールズ (1986 - 1991)

中日ドラゴンズ (1994 - 2001)

中信ホエールズ (2002 - 2003)

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中山 裕章(なかやま ひろあき、1967年11月4日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手投手・右投右打)[5]

1986年ドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団[6][5]、リリーフ・先発で主力投手として活躍したが、1991年オフに幼女への連続強制わいせつ事件を起こし、神奈川県警察逮捕され、大洋球団を解雇される[7][8][9][10]。この事件を受けてセントラル・リーグ日本野球機構 (NPB) 全12球団に対し、無期限に契約を回避する措置を取るよう要望する声明を通達したが[11]、この声明は1993年オフに解除された[12]。その後(1994年以降)は中日ドラゴンズでリリーフとして活躍し、1999年のリーグ優勝に貢献した。
経歴
プロ入り前
高校入学まで

高知市愛宕町で生まれ[13]、高知市立一ツ橋小学校・高知市立城北中学校を経て高知市立高知商業高等学校へ進学した[14]。大洋時代の監督須藤豊は高知商高の大先輩にあたるほか、元阪神タイガース藤川球児は城北中・高知商高の後輩である[15]

幼稚園を卒園したころ、自転車に乗っていた際に走行中のダンプカーと激突する交通事故を起こしたが、左足を骨折(2か月間入院する重傷)したのみで済んだ[16]。しかし小学校の入学式にはギプスを装着した状態で出席したほか、骨折した左足は高校進学後も変形したままだった[16]

城北中学校野球部に入部した直後、後に中学・高校時代にバッテリーを組んだ捕手・岡村英人[注 1]と出会った[20]。当時の中山は何事にも執着を示さない性格から練習に身が入らず、1年生の夏休み前には野球部の練習を休みがちになったが、母親から顧問への頼みで辛うじて野球を続けることとなった[21]1982年秋には高知商業高校(後の進学先)のグラウンドで中学の高知県大会決勝が開かれた[注 2]が、同大会を視察していた高知商高野球部監督・谷脇一夫(当時)は圧倒的な速球を投げる中山の素質に惚れ込み、後に再び中山が高知商高のグラウンドへ練習に来た際には「うちに来てほしい」と声を掛けている[注 3][23]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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