中山法華経寺
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この項目では、千葉県市川市の法華経寺について説明しています。その他の用法については「法華経寺 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

法華経寺
祖師堂
(重要文化財)
所在地千葉県市川市中山二丁目10番1号
位置北緯35度43分15.1秒
東経139度56分57.7秒座標: 北緯35度43分15.1秒 東経139度56分57.7秒
山号正中山
宗派日蓮宗
寺格大本山(霊蹟寺院)
本尊十界曼荼羅
創建年文応元年(1260年
開基常修院日常
別称中山法華経寺
札所等日蓮聖人霊跡
東国花の寺百ヶ寺 千葉3番
文化財観心本尊抄/日蓮筆・立正安国論/日蓮筆(国宝)
五重塔、絹本着色十六羅漢像ほか(重要文化財)
法人番号6040005004210

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法華経寺(ほけきょうじ)は、千葉県市川市中山二丁目にある日蓮宗大本山の寺院である。鎌倉時代文応元年(1260年)創立。中山法華経寺とも呼ばれる。山号は正中山。目次

1 概要

2 歴史

2.1 沿革

2.2 旧末寺

2.3 中山法華経寺事件


3 境内

4 中山療養院

5 人物

6 山内寺院・塔頭

7 文化財

7.1 国宝

7.2 重要文化財

7.3 市川市指定文化財

7.4 その他


8 年中行事

9 交通

9.1 公共交通機関

9.1.1 鉄道


9.2 自動車

9.2.1 高速道路

9.2.2 一般道路

9.2.3 駐車場



10 脚注

10.1 注釈

10.2 出典

10.3 参考文献


11 関連項目

12 外部リンク

概要 五重塔(重要文化財)

中山三法類(親師法縁、達師法縁、堺法縁)の縁頭寺であり、日蓮の説法と安息の地である。境内の鬼子母神も広く信仰を集め、江戸三大鬼子母神[1]に含まれる。日蓮の書跡『観心本尊抄』、『立正安国論』は国宝、境内建造物の多くは重要文化財に指定されている。

日蓮はその布教活動の中で幾度と無く迫害を受けたが、その際千葉氏に仕えていた富木常忍や太田乗明は管轄していた八幡荘に日蓮を迎え入れ保護した。特に千葉氏の被官であった富木常忍は、日蓮のために若宮の自邸に法華堂を造営し安息の場を提供するとともに、文吏であったため紙筆を提供してその執筆を助けた。当寺に多くの日蓮の遺文が遺されているのはその縁であると言われている。

当寺を中心に門前町が広がり、正月節分の際は大勢の参拝客で賑わう[2]
歴史 大正時代の山門

弘安5年(1282年)に日蓮が没した後、常忍は出家し自邸の法華堂を法花寺と改め初代住持・常修院日常となり、日蓮の有力な檀越であった太田乗明の子日高は、父の屋敷を本妙寺とし2代目住持となった。そして八幡庄の領主であり旧主である千葉胤貞の帰依を受け俗別当に迎え、胤貞猶子日祐を3代目住持とした。

だが、肥前国小城郡においては胤貞の弟胤泰九州千葉氏として存続したものの、下総国では敵対関係にあった貞胤流千葉氏が台頭し、胤貞流の千田氏は衰退して当寺も危機を迎えた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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