中山正暉
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中山昌亮」とは別人です。

日本政治家中山正暉なかやま まさあき

生年月日 (1932-06-14) 1932年6月14日(91歳)
出生地 大阪府大阪市
出身校中央大学法学部
前職中山マサ議員秘書
所属政党自由民主党水田派中川G村上派江藤・亀井派→無派閥)
称号勲一等旭日大綬章
衆議院永年在職議員
法学士
子女長男・中山泰秀(元衆議院議員)
親族父・中山福蔵(元参議院議員
母・中山マサ(元厚生大臣
兄・中山太郎(元外務大臣
第67-68代 建設大臣
第34-35代 国土庁長官
内閣小渕第2次改造内閣
第1次森内閣
在任期間1999年10月5日 - 2000年7月4日
第17代 総務庁長官
内閣村山改造内閣
在任期間1995年11月14日 - 1996年1月11日
第48代 郵政大臣
内閣竹下内閣
在任期間1987年11月6日 - 1988年12月27日
衆議院議員
選挙区(旧大阪2区→)
比例近畿ブロック→)
大阪4区
当選回数11回
在任期間1969年12月29日 - 2003年10月10日
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中山 正暉(なかやま まさあき、1932年昭和7年〉6月14日 - )は、日本政治家自由民主党所属で衆議院議員を務めた。大阪市出身。学位法学士勲等勲一等旭日大綬章財団法人異文化コミュニケーション財団理事
略歴
生い立ち

父は戦前に衆議院議員、戦後に参議院議員を務め、弁護士でもあった中山福蔵。母は初の女性閣僚厚生大臣)となった中山マサ

大阪市西区に生まれ、大阪府立生野中学校旧制)に入学。太平洋戦争後の学制改革に伴い、男女共学化のための交流先の大阪府立勝山高等学校(勝山高等女学校)に移り、勝山高校を卒業[1]1955年(昭和30年)に中央大学法学部を卒業した。
政界

母マサが第1次池田内閣の厚生大臣時代に秘書官を務めたのをきっかけに、政界入りする。大阪市議会議員を経て、1969年に母の地盤を受け継いで衆議院議員に初当選する(当選同期に小沢一郎羽田孜梶山静六奥田敬和林義郎渡部恒三綿貫民輔塩崎潤村田敬次郎松永光浜田幸一など)。以来連続11期当選を果たし、国会議員生活は30年以上に及んだ。

冷戦中の1970年代には、中川一郎渡辺美智雄石原慎太郎ら自由民主党の同僚議員とともに「青嵐会」に参加するなど、「タカ派の論客」として鳴らした。

1984年2月、日本・イスラエル友好議員連盟が発足して中山が初代事務局長に就任(後年、同議連会長も務めた)[2]

竹下登内閣郵政大臣として初入閣し、自社連立村山富市改造内閣では発言で中韓の反発を招き引責辞任した江藤隆美の後任として総務庁長官小渕恵三内閣では建設大臣国土庁長官として入閣、第1次森喜朗内閣でも留任した。

1996年平成8年)は新進党元職前田正大阪4区で破れ比例復活

2000年に自身最後の立候補で初の小選挙区勝利を果たした。
拉致議連

1997年に中山ら自由民主党の議員が中心になり設立された、北朝鮮による日本人拉致問題の解決を目指す「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」(「拉致議連」、現「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」)の設立メンバーとなり、さらに同議連の会長を務めた。

当初は、拉致被害者の横田めぐみの両親と衆議院議員会館で共同会見を行い「拉致問題が解決するまでは北朝鮮に対して食糧支援を行わない」と発言するなど、「タカ派の論客」らしい強硬な姿勢を見せていた。

しかし、1997年11月に北朝鮮の平壌を訪れ、帰国した後に急遽、各方面に日本人拉致事件そのものを否定する説を発表したり、2000年には拉致議連会長のまま日朝友好議員連盟の会長に就任し[3]、「拉致問題は幽霊のように実体のないもの[4]」、と日本人拉致事件そのものを否定した上で、「まず北朝鮮との国交正常化を行った後に拉致問題の解決を行うべき」と発言するなど、拉致議連の会長自らが問題そのものを否定したりする消極的な言動を行った。この中山の言動は、議員連盟のみならず、政界内や多くの国民から強い批判を浴びた。その後、中山は「北朝鮮拉致疑惑日本人救済議員連盟」と「日朝友好議員連盟会長」の両会長を辞した。

2002年勲一等旭日大綬章受賞[5]
政界引退

2003年、母マサから譲り受け長年保ってきた地盤を、長男の中山泰秀に譲り、政界から引退した。2004年、中央大学学員会(同窓会)会長に就任[6]
年譜

1955年昭和30年) - 3月、中央大学法学部卒業

1951年 - 6月、中山マサ衆議院議員秘書

1953年 - 5月、中山福蔵参議院議員秘書

1959年 - 6月、中山マサ衆議院議員秘書


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