伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2015年7月)
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中山 孝麿(なかやま たかまろ、嘉永5年12月3日(1853年1月12日) - 大正8年(1919年)11月27日)は、日本の華族(侯爵)。貴族院議員。東京府麹町区区長(第6代)。山城国(京都)生まれ。中山忠愛の次男。子に中山輔親、今城定政(定徳養子)。明治天皇のいとこ。義父に成瀬正肥。娘婿に花山院親家、渡辺修二。 9歳の時に醍醐寺で出家。権大僧都となり總持寺住職を務めるも、父である忠愛が失脚すると1871年(明治4年)に還俗[1]して家督を継ぐ。日本橋区長・麹町区長・東宮大夫・宮中顧問官[2]・東宮侍従長を務めた。
経歴
官歴など
日本橋区長
1885年(明治18年)9月22日 - 任 東京府麹町区長[3]、月俸八拾円下賜[4]
1887年(明治20年)5月11日 - 任 宮内書記官、叙 奏任官四等、年俸千二百円下賜[5]
1889年(明治22年)
2月28日 - 明宮勤務長 仰付、勅任官に准し取扱[6]
7月23日 - 賜三級俸[7]
11月3日 - 任 東宮侍従長、叙 勅任官二等、賜七級俸[8]
1898年(明治31年)2月18日 - 任 東宮大夫、叙 一等[9]
2月21日 - 皇太子葉山行啓供奉[10]
4月14日 - 皇太子沼津行啓供奉[11]
1901年(明治34年)7月26日 - 皇太子・皇太子妃日光行啓供奉[12]
11月29日 - 依願免本官[13]
1903年(明治36年)8月5日 - 任 帝室会計審査局長、叙一等[14]
1905年(明治38年)1月23日 - 任 東宮大夫 、叙一等[15]
12月5日 - 東宮呉軍港行啓供奉[16]
1906年(明治39年)10月12日 - 東宮愛知県下行啓供奉[17]
1907年(明治40年)5月1日 - 皇太子山陰道行啓供奉[18]
12月11日 - 任 宮中顧問官、叙 高等官一等[19]
1919年(大正8年)11月27日 - 薨去[20]
栄典・授章・授賞
位階
1889年(明治22年)11月9日 - 従四位[21]
1897年(明治30年)7月2日 - 従三位[22]
1901年(明治34年)11月29日 - 正三位[23]
1909年(明治42年)12月10日 - 従二位[24]
1918年(大正7年)12月20日 - 正二位[25]
勲章など
1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章[26]
1892年(明治25年)6月29日 - 勲四等瑞宝章[27]
1899年(明治32年)6月20日 - 勲三等瑞宝章[28]
1900年(明治33年)5月10日 - 勲二等瑞宝章[29]
1901年(明治34年)11月29日 - 旭日重光章[23]
1906年(明治39年)4月1日 - 勲一等瑞宝章[30]・明治三十七八年従軍記章[31]
1915年(大正4年)
11月10日 - 大礼記念章[32]
12月1日 - 旭日大綬章[33]
1919年(大正8年)11月25日 - 旭日桐花大綬章[34]
外国勲章など
1902年(明治35年)