中山冷泉為親
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 凡例中山冷泉為親
時代安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕天正3年9月28日1575年10月31日
死没慶長15年7月26日1610年9月13日
戒名蓮池院清月浄空
官位従四位下右近衛少将
主君正親町天皇後陽成天皇
氏族中山家上冷泉家中山冷泉家
父母父:中山親綱、母:白川雅業王
兄弟慶親、為親、憲応、親子今出川季持室、女子
妻五条為経女
為尚、尊済、某女王
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中山冷泉 為親(なかやまれいぜい ためちか)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公家中山冷泉家今城家)の祖。
生涯

天正3年(1575年)、中山親綱の次男として生まれる。同13年(1585年)、冷泉為満が、山科言経四条隆昌と共に突如として勅勘を蒙り京都出奔した。そこで、親綱の次男が、冷泉家の通字「為」を入れて為親と名乗り、為満の養子となって家督を継承した。しかし慶長3年12月7日1599年1月3日)に言経とともに赦免された為満が、上冷泉家の当主に復帰した。為親は上冷泉家の当主ではなくなったが、新たに堂上家を創設することが許され、中山冷泉家を興した。これがのちの今城家となる。

慶長15年(1610年)卒去した。享年36歳。法号は蓮池院清月浄空。
系譜

妻:五条為経


男子:為尚

男子:尊済 - 金剛王院

女子:某女王 - 白川雅朝王猶子[1]


官歴

天正13年
12月27日1586年2月15日)、侍従

天正14年4月13日(1586年5月31日)、右近衛少将

慶長2年1月5日1597年2月21日)、従四位下

脚注[脚注の使い方]^ 日本の親王・諸王「?帳女王表」参照。後水尾天皇の左の?帳を務めた。

出典

系図纂要』第六冊(宝月圭吾岩沢愿彦監修、名著出版、1973年

日本の親王・諸王「 ⇒?帳女王表


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