中尾_(さいたま市)
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 埼玉県 > さいたま市 > 緑区 (さいたま市) > 中尾

■中尾
大字
さいたま市緑区役所庁舎
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}■中尾本町の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度52分15.76秒 東経139度41分02.5秒 / 北緯35.8710444度 東経139.684028度 / 35.8710444; 139.684028
日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
緑区
地域浦和市
人口(2018年平成30年〉7月1日時点)[1]
 ? 合計14,483人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号336-0932[2]
市外局番048[3]
ナンバープレート大宮
中尾陸橋

中尾(なかお)は、埼玉県さいたま市緑区大字郵便番号は336-0932[2]
地理

さいたま市緑区西部の大宮台地(浦和大宮支台)上に位置する。中丸、駒前、中尾第一、中尾第二の各組合施行の区画整理と都市基盤整備公団施行の浦和南部区画整理事業及び浦和市施行の東浦和第一区画整理事業により都市基盤整備が進んでいる。全域が市街化区域であるが[4]生産緑地地区も多く見られる。1998年(平成10年)度からは浦和市施行(さいたま市施行)により東浦和第二区画整理事業が実施されており[5]、急速に宅地化が進んでいる。
河川

中尾排水路

地価

住宅地の地価は、2017年平成29年)1月1日公示地価によれば、大字中尾字中丸3060-1の地点で15万3000円/m2となっている[6]
歴史

もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡木崎領に属する中尾村、古くは戦国期より見出せる足立郡のうちの中尾郷であった。元禄年間に大谷口・井沼方・柳崎村とともに一村から分村され成立した[7]。村高は『元禄郷帳』では6751余、『天保郷帳』では677石余であった[7]助郷は中山道浦和宿に出役していた[7]。村の規模は東西15、南北25町で、化政期の戸数は117軒であった[7][8]

発足時は幕府領で以降変遷なし[7]。なお、検地1690年元禄3年)に実施されていた[8]

1805年文化2年):大牧村(現大牧)の蓮見新田が当村に属するようになる[7]

文政年間(1818年 - 1831年):以降より蓮見新田が当村より分村しで独立した[7]

幕末時点では足立郡中尾村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった。玉林院や吉祥寺の寺領も存在した[9]

1868年慶応4年)6月19日:幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。

1869年明治2年)

1月13日:武蔵知県事・宮原忠英の管轄区域に大宮県を設置。県庁は東京府馬喰町に置かれる。

9月29日:県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。


1871年(明治4年)11月13日第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。

1873年(明治6年)3月:金剛寺に中尾学校(現・さいたま市立尾間木小学校)を開設する[10][7](1882年に公立大間木小学校と改称して大間木に移転)。

1874年(明治7年):玉林院が廃寺となる[7][11]

1879年(明治12年)3月17日郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。

1889年(明治22年)4月1日町村制施行により、大牧、中尾、大間木、井沼方、下山口新田、蓮見新田4箇村2新田が合併し、尾間木村が成立[12]。尾間木村の大字中尾となる。

1940年昭和15年)4月17日:尾間木村は同郡三室村と共に浦和市へ編入され[13]浦和市の大字となる。


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