中尾 駿一郎(なかお しゅんいちろう、1918年7月27日 ‐1981年12月4日)は、日本の撮影監督、映画カメラマン。 今井正監督『また逢う日まで』(東宝)などの撮影で、4度、日本映画技術賞を受賞、熊井啓監督『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』(俳優座映画放送)で、第5回日本アカデミー賞優秀撮影賞。 戦時中は、撮影助手として修業を積んだ。戦後、今井正監督の劇映画作品で多くカメラを回したほか、東宝退社後は、記録映画も撮影した。
人物
経歴
PCLから東宝へ
1918年、東京生まれ。
1936年、旧制中学卒業後、PCLに入社。
1946年、今井正監督『人生とんぼ返り』で撮影監督デビュー。
1947年、今井正・楠田清
1949年、小田基義監督『地獄の貴婦人』(東宝=松崎プロ)の撮影。
1950年、今井正監督『また逢う日まで』(東宝)を最後に東宝を追放される。
独立プロでの活躍
1951年、『また逢う日まで』(東宝)の撮影で、第4回日本映画技術賞受賞[1]、今井正監督『どっこい生きてる』(新星映画・前進座)、丸山誠治監督『三太物語』(新東宝)撮影担当。
1952年、記録映画『氷雪に挑む 寒地保線の人々』(内外映画社)の撮影。
1953年、関川秀雄監督『ひろしま』(日教組プロ)、家城巳代治監督『雲ながるる果てに』(重宗プロ=新世紀映画)、今井正監督『にごりえ』(新世紀プロ=文学座)、今井正監督『ひめゆりの塔』(東映)の撮影。
1955年、今井正監督『愛すればこそ 第二話 とびこんだ花嫁』(独立映画)、今井正監督『ここに泉あり』(中央映画
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