中央通り_(仙台市)
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仙台市 > 中央通り (仙台市)中央通・クリスロード(2006年7月)

中央通(ちゅうおうどおり)は、宮城県仙台市青葉区一番町3丁目の東一番丁通との交点(一番町アーケード大町広場)から、同区中央1丁目の駅前通との交点まで至る道路の通称である。全区間が歩行者専用道路であり、アーケードを備える。一番町や仙台駅西口周辺と並んで、仙台市都心部における中心部商店街の1つとなっている。
概要

江戸時代に造られた仙台城大手門前から続く東西の一本道は、東はそのまま陸奥国府多賀城、仙台の外港である塩釜港日本三景松島、東北太平洋海運の拠点港石巻港へと続く石巻街道に繋がっている。この一本道の内、城下町の中心である芭蕉の辻周辺[1][2][3]は現在ビジネス街となっているが、その一町東の東一番丁から駅前通までが現在「中央通」と呼ばれる。仙台七夕まつりの際のメインストリートの1つ。

戦後の復興期に、中央通りの南側を並走する片側3車線の青葉通が造られ、自動車の東西交通軸の地位をそちらに譲った。現在の中央通りは歩行者専用道路となっている。

商店街組織は、江戸時代の区分けである大町(おおまち)・新伝馬町(しんてんまち)・名懸丁(なかけちょう)の地区ごとにつくられており、現在の大通りによる区分けとは異なっている。江戸時代は「町」(まち)が付く大町と新伝馬町が町人町、「丁」(ちょう)が付く名懸丁が町であった(→仙台市都心部#「丁」と「町」)。この道における町人町と侍町の境は、四ツ谷用水が担っていた。既に埋め立てられて痕跡も見当たらないが、現在も商店街の境界となっている。現在、歩道のタイルの模様によって、その名残を留めている[4]

マーブルロードおおまち:東一番丁から東二番丁まで

クリスロード:東二番丁から東四番丁の少し東の四ツ谷用水跡まで

ハピナ名掛丁:四ツ谷用水跡から駅前通まで

ハピナ名掛丁ハピナ名掛丁入口

(江戸時代?1970年1月19日:名懸丁または名掛丁[5]なかけちょう)。現在:中央一丁目、中央二丁目)
歴史

東一番丁(現在の一番町)と同様に、江戸時代には侍町であったが、現在は中心部商店街となっている街区である。東一番丁は仙台における商人町の証である「町」に改められたが、名掛丁は「丁」のままとなっている。

江戸時代の仙台藩の武士身分では、上級の「門閥七等」の下に大番士、組士(御名懸組)、卒の三等があったが、徒歩侍の組士(御名懸組)が住んだ町であることから「名懸丁」と呼ばれた。名懸丁は、西の新伝馬町から東の東七番丁車町まで続く細長い町で、石巻・松島・塩竈という石巻街道沿いの港から仙台の城下町へ入る際に通らなくてはならず、名懸丁の東の二十人町および鉄砲町(鉄砲足軽138人が置かれた)と合わせて、城下の東の守りであった。

1887年明治20年)に東北本線が出来ると、東六番丁辺りに出来た踏切によって町は東西に分けられてしまった。西側は、仙台の中心部である国分町東一番丁大町仙台駅との間を結ぶ道として人々の往来が増加し、秩禄処分で没落した士族の街から商店街へと変貌した。大正時代には、間口の広い商店や土蔵が建ち並ぶほどになった。

戦中の仙台空襲で町内は全焼。戦後復興時に、北に谷風通、南に政岡通が平行して出来た。また、名掛丁と政岡通とを繋ぐじゃんじゃん横丁もこの時期に出来たという。その後、東一番丁では両側に歩道が出来て[6]歩車分離がなされたのに対し、名掛丁を含む中央通りは歩車分離がされなかった[7]1965年昭和40年)12月、初代アーケードが完成し、中央通が全てアーケードで覆われ、歩行者専用道路となった。

なお、線路の東側の名掛丁については宮城野橋(X橋)を参照。
現在

駅前通の東側にJR仙台駅東五番丁地下に仙台市地下鉄南北線・仙台駅があるため、両駅に近いこの街区は「仙台駅前」の商業地区に含まれる場合がある。仙台駅に近いことから他都市の地下街のような歩行者動線の誘導機能も持つ。

交差する東五番丁や駅前通を含め、パチンコ店やゲームセンター等のアミューズメント系の立地が他の街区より目だっている。

また、政岡通や名掛丁センター街などの横丁を初め、飲食店も多く立地している。ハピナ名掛丁周辺には飲食店の集中の度合いが高く、国分町との間で客の奪い合いが起きているといわれている。

なお、「ハピナ名掛丁」の「ハピナ」とは、「幸福な」を意味する英語形容詞 "happy" を、日本語形容動詞化した「ハッピーな」に由来する造語[8]1993年平成5年)に名付けられた。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}また、ローマ字書きの「HAPINA」は、"Heartful Amenity Place Interfaced Natural Arcade" の頭文字をとったともされる。[要出典]
クリスロード

(江戸時代?1970年1月19日:新伝馬町(しんてんまち[9])。現在:中央二丁目)
歴史

仙台の城下町が開府された時には「日形町」との名称であった。城下には国分町と北目町に伝馬宿駅が置かれたが、需要供給が間に合わなかったため、日形町にも伝馬が置かれ、1694年に「新伝馬町」と改称された。仙台近郊のみならず、山形や秋田などからも荷馬車が集まる問屋街として発展し、野菜が移入され、反物などが移出された。

1887年(明治20年)に東北本線仙台駅が出来ると、荷馬車から鉄道流通の主役が次第に移り、大正時代には卸売問屋街となっていた。

戦後の1964年(昭和39年)に「仙台卸業団地建設委員会」が設立され、昭和40年代を通じて市街地東部に卸商団地(卸町)と国道4号仙台バイパスが造られたことで問屋は移転していき、仙台駅と一番町を繋ぐルート上の小売商店街へと変化した。
現在詳細は「仙台市都心部#新学生街」を参照

本町の専門学校・予備校地区に近いため、東四番丁の地下にある仙台市地下鉄南北線広瀬通駅やJR仙石線あおば通駅などを利用する学生の通学路となって新学生街の様相を呈している。この街区は、横道である東四番丁や東三番丁などと一体となって面的な広がりを持っており、若者向けの店舗が立地している。

原宿クレープのように、歩きながら食べる安価なグルメとして、阿部蒲鉾店の「ひょうたん揚げ」がここでは人気であり、ぶらんどーむ一番町お茶の井ヶ田の「抹茶ソフトクリーム」、仙台駅ビルずんだ茶寮の「ずんだシェイク」と並び、仙台の三大歩き食べとなっている。


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