中央線快速
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この項目では、東京 - 高尾間で運転される快速電車について説明しています。名古屋地区の快速列車については「中央線 (名古屋地区)」を、その他の快速列車については「中央本線」をご覧ください。
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中央線快速

中央線快速の車両
左:209系1000番台、右:E233系0番台[注 1]
(2019年6月29日 西国分寺駅
基本情報
日本
所在地東京都
種類通勤列車
起点東京駅
終点高尾駅
駅数24駅
経由路線東北本線(東京 - 神田間)
中央本線(神田 - 代々木間、新宿 - 高尾間)
山手線(代々木 - 新宿間)
電報略号チウホセ
路線記号JC
開業1889年4月11日
所有者東日本旅客鉄道(JR東日本)
運営者東日本旅客鉄道(JR東日本)
車両基地豊田車両センター
豊田車両センター武蔵小金井派出所
使用車両E233系0番台
209系1000番台
路線諸元
路線距離53.1 km
軌間1,067 mm
線路数複線
電化方式直流1,500 V架空電車線方式
閉塞方式自動閉塞式
保安装置ATS-P
最高速度100 km/h[1]
130 km/h(八王子 - 高尾間の特急列車)
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中央線快速(ちゅうおうせんかいそく)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の中央本線のうち、東京都千代田区東京駅から東京都八王子市高尾駅までの快速電車の運転系統の案内上および営業上の呼称である。路線図などの案内では山梨県大月市大月駅までとなっているものもある。駅ナンバリングで使われる路線記号はJC[注 2]

御茶ノ水駅 - 三鷹駅間の複々線区間のうち、快速電車と優等列車が走る線路は「中央急行線」がJR東日本社内の正式名称である[報道 1](詳細後述)が、書籍や雑誌、新聞[2]やJRのプレスリリース[報道 2]などでは東京駅 - 高尾駅・大月駅間の運転系統を「中央快速線」と表すことや、JRの路線図や駅ホームなどでは「中央線(快速)」「中央線快速電車」のほかに「中央線」と表記することがほとんどであり、「中央急行線」の表記はほとんど見られない。
概要

東京都心東京駅から山の手副都心の一角である新宿駅を経由し、山手線を越えて郊外の住宅街が広がる多摩地域の各都市を結ぶ、東京都心への通勤・通学路線である。また甲府松本へ至る特急「かいじ」「あずさ」や、大月駅から富士山麓電気鉄道富士急行線河口湖駅まで直通する特急「富士回遊」なども走行する。吉祥寺駅立川駅八王子駅など多摩地域でも屈指のターミナル駅繁華街を沿線に持ち、東京メトロ東西線丸ノ内線京王井の頭線南武線横浜線など中央線の駅を起点・終点として接続する路線も多いことから、多摩地域で最も主要な路線となっている。多摩地域を東西に走る鉄道路線の中では唯一、地下鉄直通以外で都心に乗り換えなしでアクセス出来る。飯田橋駅 - 四ツ谷駅間は江戸城外濠に沿って建設され、東京駅 - 新宿駅間は地下鉄以外で唯一山手線の内側を走る路線となっている[3]。これを利用して、東京駅・神田駅 - 新宿駅間を山手線で移動するよりも短い時間で移動することができる。

起源は1933年昭和8年)に東京駅 - 中野駅間で運行が開始された“急行電車”であり、その後“快速”と改称されている。国鉄時代に投入された101系電車以降の車両にはオレンジバーミリオン(■、国鉄朱色1号)が車体色に採用され、これが当路線のラインカラーとして旅客案内などにも使用されている。

基本的な運行系統は東京駅 - 高尾駅間であるが、立川駅から青梅線に直通して青梅駅まで乗り入れる列車もほぼ終日にわたって設定され、さらに朝夕を中心に山梨県内の大月駅や、その先の富士急行線河口湖駅まで運行される列車もある。御茶ノ水駅 - 三鷹駅間の複々線区間では中央・総武緩行線として千葉方面から直通する各駅停車が並走する。御茶ノ水駅付近が方向別複々線となっているほかは線路別複々線となっており、接続などは考慮されずそれぞれ独立した運行形態となっている。日本国有鉄道(国鉄)時代に通勤五方面作戦によって複々線化された路線の中では中央線は複々線区間が短く、もともとは青梅線が分岐する立川駅までの複々線化が予定されていたが実現には至っていない[4]

新宿駅 - 八王子駅(京王八王子駅)・高尾駅間で京王電鉄京王線高尾線と競合関係にあり、京王線の特急(特別料金不要)に対抗するために、1967年に国鉄で初めて特別快速(中央特快)が設定された。

首都圏のJR他路線の例に漏れず、特にCOVID-19流行以前は横須賀線東海道線総武緩行線などに次ぐ屈指の混雑路線であるが[5]、その沿線は「中央線カルチャー」と称される根強い人気を誇り、中野駅高円寺駅阿佐ケ谷駅荻窪駅吉祥寺駅など不動産各社による住みたい街ランキング常連の駅や、中央線沿線を取り上げる街あるき本も数多く出版されているなど独自色が強い[6][7]2007年10月から、JR東日本八王子支社では「中央線が好きだ。」というポスターを製作し、駅や電車の中吊りに掲出している[8]
名称について

東京駅?神田駅間は東北本線代々木駅?新宿駅間は山手線に属し、その他の区間は中央本線である。国鉄時代はこれらの2区間が重複所属であったが、民営化後に変更された。マルスシステムの経路表示は「中央東線」と称して区間は「東京?神田?御茶ノ水?代々木?新宿?韮崎?」としており、東京駅?神田駅間が「東北線」と重複して「山手線」の代々木駅?新宿駅間は分断されている。当該区間のうち、御茶ノ水駅?中野駅間は国鉄時代に早くから複々線化されたことや、複々線の両方に旅客列車が走行し急行運転を行ってきたことから[要説明]、現在も快速電車や長距離列車などが走る線路の正式な呼称は「中央本線」である[9][10][11][12]。「中央本線」も参照

かつて、現在の快速電車は急行電車と称していたが、松本・甲府方面の準急急行列車(有料)に格上げされたことから、料金不要の急行電車は快速電車と改称された。「急行列車#急行電車(急電)」も参照
路線データ

東京駅 - 高尾駅間のもの(御茶ノ水駅 - 三鷹駅間は急行線に関するもののみ)。

路線距離(
営業キロ):53.1 km

管轄(事業種別)

東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者):53.1 km(全線)

日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者):42.8 km(新宿駅 - 高尾駅間)


軌間:1,067 mm

駅数:24(起終点駅を含む。急行線上にホームのない駅は除く)

複線区間:全線

電化区間:全線(直流1,500 V)

閉塞方式:自動閉塞式

保安装置:ATS-P

最高速度

東京駅 - 八王子駅間:100 km/h(E233系0番台もしくは209系1000番台で運転する列車[報道 3])、95 km/h(その他の列車)

八王子駅 - 高尾駅間:130 km/h(優等列車)、100 km/h(普通列車)


運転指令所:東京総合指令室

準運転取扱駅(異常時、入換時は駅が信号を制御):御茶ノ水駅・新宿駅・三鷹駅・武蔵小金井駅・国分寺駅・立川駅・豊田駅・八王子駅・高尾駅


列車運行管理システム東京圏輸送管理システム (ATOS)

車両基地豊田車両センター(豊田駅)、豊田車両センター武蔵小金井派出所(武蔵小金井駅)

担当乗務員区所

豊田運輸区 :東京駅 - 高尾駅間

八王子運輸区:立川駅 - 高尾駅間(車掌)、豊田駅 - 高尾駅間(運転士)

甲府統括センター(運輸) :立川駅 - 高尾駅間(車掌)、豊田駅 - 高尾駅間(運転士)

松本運輸区:東京駅 - 高尾駅間(車掌)、新宿駅 - 高尾駅間(運転士)、どちらも特急列車のみ

立川車掌区 :東京駅 - 高尾駅間

立川運転区 :東京駅 - 高尾駅間

東所沢電車区:国立駅 - 八王子駅間(むさしの号のみ)


IC乗車カード対応区間:全線(Suica首都圏エリア)

東京駅 - 西荻窪駅間が首都圏本部、吉祥寺駅 - 高尾駅間が八王子支社の管轄であり、西荻窪駅 - 吉祥寺駅間に支社境界がある。
歴史

甲武鉄道の東京都心乗り入れに際して建設された市街線(しがいせん)に、関東大震災後の復興事業での貨客分離および長距離列車と近郊電車との路線分離を行うために複々線化した上で、列車線貨物線として開業したのが現行の中央線快速の始まりとされる。

御茶ノ水駅 - 中野駅間で複々線が建設され、1932年(昭和7年)に完成した。計画当初は貨物輸送力の増強を企図していたが、完成後は一部時間帯に急行電車を運行させて旅客輸送力の強化を図った。この計画と同時に総武本線両国駅 - 御茶ノ水駅間も高架鉄道として建設され、ラッシュ時は東京駅発着の電車を急行電車として運行することとなり、各駅に停車する電車は一部の時間帯に総武本線へ乗り入れることとなった。

第二次大戦後は中央線の輸送力増大が重要な課題となり、1957年に東京駅 - 御茶ノ水駅間および中野駅 - 三鷹駅間の複々線化を決定するも実施に苦慮していたところ、1960年帝都高速度交通営団から東西線との直通運転の提案を受け、東京 - 御茶ノ水駅間線増に代わるものとした[13]。引き続き「通勤五方面作戦」が進む中で1966年(昭和41年)に中野駅 - 荻窪駅間の複々線化が完成し、中央緩行線の電車と営団地下鉄東西線(現在の東京メトロ東西線)乗り入れの電車がこの区間に運行されている。1969年(昭和44年)には複々線区間が三鷹駅まで延長された。だがそれ以降計画はほとんど進まず、三鷹駅 - 立川駅間の複々線化事業は事実上の凍結状態にある(詳細は複々線化を参照)。

1889年明治22年)


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