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中央林間
町丁
中央林間駅
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度30分30秒 東経139度26分38秒 / 北緯35.508469度 東経139.443822度 / 35.508469; 139.443822
国 日本
都道府県 神奈川
市町村 大和市
人口情報(2021年(令和3年)10月1日現在[1])
人口23,895 人
世帯数11,901 世帯
面積([2])
1.832245711 km²
人口密度13041.37 人/km²
設置日1966年(昭和41年)11月1日
郵便番号242-0007[3]
市外局番046(厚木MA)[4]
ナンバープレート相模
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中央林間(ちゅうおうりんかん)は、神奈川県大和市の町名。現行行政地名は中央林間一丁目から中央林間九丁目。住居表示は全域で実施済[5]。 大和市北部に位置する。東はつきみ野、西は中央林間西、南は南林間と林間と下鶴間、北は相模原市東林間と上鶴間に接する。小田急江ノ島線と東急田園都市線の中央林間駅を中心とした地域である。2018年(平成30年)10月9日に、東側に隣接する下鶴間の一部を中央林間六丁目から九丁目として編入した[6]。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、中央林間2-11-2の地点で29万5000円/m2、中央林間3-15-20の地点で33万1000円/m2となっている。大和市内で最も地価が高い[7]。 大正末までは、この地域は下鶴間の一部であった。1929年(昭和4年)4月に小田急江ノ島線が開通すると同時に、小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)により開発が始められることが決定した。この開発計画が、「林間都市計画」である。林間という名の由来は、この地域が雑木林であったことによる。林間都市には三つの駅が設置されることとなり、このうちの一つが中央林間都市駅である。(他は南林間都市駅と東林間都市駅)当時の計画図によると、中央林間駅をはさんで放射線状に道を伸ばし、松竹の撮影所や相撲力士養成所を誘致し、さらには野球グラウンドなども建設する「スポーツ都市」として計画された。 小田急は1929年から1931年(昭和6年)にかけて林間都市の分譲を始めたが、開発は思うようにはいかなかった。原因として、都心から遠すぎたこと、分譲価格が高すぎたことなどが挙げられる。1941年(昭和16年)に太平洋戦争の勃発により計画は事実上中止され、駅名から「都市」が除かれた。中央林間の地名はこの駅名に由来する。 小田急による林間都市計画は挫折した。しかし、1984年(昭和59年)4月9日に東急田園都市線が乗り入れ、中央林間は、東急多摩田園都市計画域に編入された。田園都市となってから開発は急速に進み、現在に至る。 実施後実施年月日実施前 2021年(令和3年)10月1日現在(大和市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 丁目世帯数人口 国勢調査による人口の推移。 人口推移年人口 国勢調査による世帯数の推移。 世帯数推移年世帯数
地理
地価
歴史
林間都市計画
林間都市から田園都市へ
町名の変遷
中央林間一丁目1966年11月1日下鶴間
中央林間二丁目
中央林間三丁目
中央林間四丁目
中央林間五丁目
中央林間六丁目
中央林間七丁目2018年10月9日
中央林間八丁目
中央林間九丁目
世帯数と人口
中央林間一丁目1,438世帯2,926人
中央林間二丁目1,739世帯3,336人
中央林間三丁目1,517世帯2,556人
中央林間四丁目1,648世帯3,018人
中央林間五丁目1,767世帯3,322人
中央林間六丁目1,341世帯2,653人
中央林間七丁目1,010世帯2,584人
中央林間八丁目955世帯2,149人
中央林間九丁目486世帯1,351人
計11,901世帯23,895人
人口の変遷
1995年(平成7年)[8]12,480
2000年(平成12年)[9]13,787
2005年(平成17年)[10]15,986
2010年(平成22年)[11]16,577
2015年(平成27年)[12]16,709
2020年(令和2年)[13]23,162
世帯数の変遷
1995年(平成7年)[8]5,398
2000年(平成12年)[9]6,312
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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