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中外日報
種類週2回発行(水・金)
サイズタブロイド判
事業者中外日報社
本社京都府京都市
代表者代表取締役社長 津村惠史
創刊1897年10月1日
前身教学報知
言語日本語
ウェブサイト ⇒http://www.chugainippoh.co.jp/
株式会社 中外日報社
本社所在地 日本
601-8004
京都府京都市南区東九条東山王町9
事業内容新聞発行、出版
設立1953年2月
業種情報・通信業
資本金3,100万円
売上高5億円(2011年3月期)
従業員数34名
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『中外日報』(ちゅうがいにっぽう)は、京都府京都市南区東九条東山王町に総本社を置く中外日報社が発行する宗教専門紙。 2023年現在、毎週2回(水曜日・金曜日)に発行している。紙面構成は、社説、ニュース、論文、コラム、インタビュー、各宗派の動向を網羅した日誌など。 1897年(明治30年)10月1日、信教・思想の自由を掲げ、一宗一派に偏らない宗教専門の紙「教学報知」として真渓涙骨により京都で創刊された。当初は旬刊、半年後に隔日刊となり、1901年(明治34年)4月から日刊で発行。1902年(明治35年)1月に「中外日報」と改題し、宗教を中心に広く文学、教育、芸術、文化、政治、実業などの諸領域に報道範囲を拡大した。 明治期には安藤正純、和田幽玄
概要
沿革
太平洋戦争中は政府の言論統制により「一県一紙」の政策が取られたが、京都では日刊紙としては例外的に京都新聞と中外日報の二紙が認められ、戦時下も絶えることなく発行を続けた。
編集と経営の中心は長年、社主の真渓涙骨が担い、1953年(昭和28年)に個人経営から株式会社へと組織変更した。1956年(昭和31年)に真渓が没した後は、今東光や吉田留次郎などが社長を歴任した。今が社長在任中の1958年(昭和33年)には、文京区本郷に東京支社(現東京本社)を開設、これには今の次弟 文武が奔走した。新聞記者時代の司馬遼太郎を起用し、小説「梟のいる都城」を連載し、後に『梟の城』として出版、第42回直木賞を受賞した。 2004年に中外日報社が創業者の真渓涙骨を記念して創設した賞であり、人間の精神文化に関わる論文を年1回公募するほか[1]、第13回からは実践部門も設けて、優れた社会救済活動をした団体・人物に贈られている。
事業所
京都本社
京都市南区東九条東山王町9郵便番号 601-8004
東京本社
東京都文京区本郷4-9-13郵便番号 113-0033
涙骨賞
中外日報>涙骨賞受賞者一覧
脚注[脚注の使い方]^ ⇒公募なび・第6回涙骨賞
関連項目
真渓涙骨 - 創刊者
仏教タイムス - 仏教界を対象とする週刊業界紙
外部リンク
⇒中外日報
中外日報 (@chugainippoh) - X(旧Twitter)
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