中国電力株式会社
The Chugoku Electric Power Company, Incorporated
中国電力 本社
種類株式会社
市場情報東証プライム 9504
中国電力株式会社(ちゅうごくでんりょく)は、広島県広島市に本社を置く電力会社。主に、中国地方を営業エリアとする。
ブランド名は「EnerGia」(エネルギア:ラテン語でエネルギーの意)。 略称として中電(ちゅうでん)や、中国電、あるいはブランド名のEnerGiaが使われている。ただし中電と言うと、全国的には同社より規模の大きい電力会社である中部電力(愛知県名古屋市)の略称として用いられることがほとんどであり(ドメイン名「chuden.co.jp」も中部電力のもの)、中国地方以外では、中国電力は「中国電」、中部電力は「中部電」と表記されるのが一般的である。インターネットでのドメイン名がブランド名の「energia.co.jp」となっているのもこのため。 ブランドスローガンは「いいことプラス EnerGia」。 中国電力は山口県営の電力事業などをもとに発足した経緯から、山口県が大株主となっている。かつては外郭団体である財団法人山口県振興財団を通じて13.72%の株式を保有する筆頭株主であったが、山口県の機構改革に伴う2012年3月末での同財団の解散に合わせて一部の株式を売却し、保有比率を下げている[2]。
概要
営業エリア
電力小売事業
中国地方、関東地方など
沿革
1939年(昭和14年)4月1日 - 日本発送電発足。
1942年(昭和17年)4月1日 - 中国配電株式会社が開業。
1945年(昭和20年)8月6日 - 中国配電、広島市への原子爆弾投下により、本店と広島支店焼失。
1951年(昭和26年)5月1日 - 松永安左エ門(電気事業再編成審議会委員長)のGHQへの説得による、国会決議より効力が強いGHQポツダム政令を元に、中国電力設立 (日本発送電中国支社と中国配電の合併による)。
1958年(昭和33年) - 中国電力初の新設石炭火力発電所、新宇部発電所1号機が運転開始(のちに石油を経て石炭に再転換)。
1959年(昭和34年)6月 - 石炭火力発電所、坂発電所
1961年(昭和36年)11月 - 石炭火力発電所、水島発電所1号機が運転開始(のちに石油を経て石炭に再転換)。
1964年(昭和39年)8月 - 中国電力初の石油火力発電所、下松発電所1号機が運転開始。
1966年(昭和41年) - 石油火力発電所、岩国発電所1号機が運転開始。
1967年(昭和42年)3月 - 石炭・石油混焼火力発電所、下関発電所1号機が運転開始(のちに石炭専焼に転換)。
1969年(昭和44年)7月 - 中国電力初の揚水式発電所、新成羽川発電所が全面運転開始。
1971年(昭和46年)3月 - 石油火力発電所、玉島発電所1号機が運転開始。
1974年(昭和49年)3月 - 国内初の国産原子力発電所、島根原子力発電所1号機が運転開始。
1980年(昭和55年)3月 - 中国電力初の50万V変電所・送電線営業運転開始。
1984年(昭和59年) - 三蟠発電所(石炭火力)廃止。
1985年(昭和60年) - 小野田発電所(石炭火力)廃止。
1986年(昭和61年)3月 - 坂発電所(石炭火力)廃止。
1986年(昭和61年)4月 - 石炭火力発電所、新小野田発電所1号機が運転開始。
1989年(平成元年)2月 - 島根原子力発電所2号機が運転開始。
1990年(平成2年) - 新宇部発電所(石炭火力)廃止。
1991年(平成3年)1月 - CI(コーポレートアイデンティティ)宣言を行い、キーコンセプトを「Energia(エネルギア)」とした。
1992年(平成4年)12月 - 中国電力初のコンバインドサイクル発電方式を採用した柳井発電所1号系列が運転開始(LNG火力発電所としても中国電力初)。
1996年(平成8年)1月 - 日本初の1,300℃級ACCを採用した柳井発電所2号系列が運転開始。
1998年(平成10年)6月 - 石炭火力発電所、三隅発電所1号機が運転開始。中国電力初の単体出力100万kW機。
2000年(平成12年)11月 - 石炭火力発電所、大崎発電所1-1号機が運転開始。中国電力では初めてとなる加圧流動床複合発電(PFBC)方式を採用。
2001年(平成13年)6月 - 50万V送電線第2ルート営業運転開始。
2006年(平成18年)3月 - ブランドスローガン「いいことプラス Energia(エネルギア)」策定。
2007年(平成19年)8月 - 新小野田発電所において、木質バイオマスの混焼を開始。
2008年(平成20年)6月 - 大崎発電所1-2号機建設計画中止[3]。