中国象棋
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この項目では、ボードゲームについて説明しています。架空のキャラクターについては「シャン・チー」を、歌手については「シャンチー (歌手)」をご覧ください。
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シャンチー象棋

プレイ人数2人
準備時間1分以下
プレイ時間通常:約30分
早指し:最長15分
運要素無し
必要技能駆け引き、戦略

シャンチー
各種表記
繁体字:象棋
簡体字:象棋
?音:xiangqi [ 発音]
発音:シャンチー
広東語発音:zeong6 kei2
日本語読み:しょうぎ
英文:xiangqi
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シャンチー(象棋、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: xiangqi、ベトナム語: c? t??ng/棋將)は、二人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種である。中国及びベトナムにおける伝統的な将棋類であり、中国では国家の正式なスポーツ種目にもなっている。中華人民共和国の非物質文化遺産に登録されている。
名称

この競技は中国語では「象棋」と呼ぶが、これは中国語でチェス類の一般表現にも使う[注 1] ため、特に区別する際には「中国象棋」と呼ばれる。

ベトナム語では「c? t??ng」(コー・トゥオン:/k?? t???/)というが、日本語では「カートン」と書かれることが多い。漢字表記に直せば「棋将」である。

英語では、「xiangqi」または「Chinese chess」と呼ぶ[注 2]。国際組織である世界シャンチー連合会(World Xiangqi Federation 略称 WXF)は英語名を「xiangqi」としている。

日本語では「象棋」「中国象棋」「中国将棋」などと表記されることもある。世界シャンチー連合会加盟の、日本における国内競技団体である日本シャンチー協会(Japan Xiangqi Asocciation 略称 JXA)では、日本における呼称・表記とも「シャンチー」とすることを定めているが、出版・報道では「象棋」という表記も行われている。例えば、2008年に開催されたワールドマインドスポーツゲームズの種目に本競技が取り上げられたことを紹介する新聞記事では、多くの新聞で「シャンチー」の表記を採用している[1][2]。また、広辞苑では第六版(岩波書店、2008年、ISBN 978-4000801218)で「シャンチー」「中国象棋」の両者が見出し語に加えられ、語義の解説は「中国象棋」に記載されている。日本における遊戯史研究の第一人者である増川宏一は、自著で「象棋」という表記を使っている[3][注 3]日本オリンピック委員会では「シャンチー」を採用している。
歴史
前史代の陶製の駒、洛陽博物館蔵。駒の名前は敵味方で変わらず、地の色の白黒で区別している。盤は出土していないが、現代のものと同様の配列で展示されている

シャンチーは他の将棋型ゲームと同様、インドのチャトランガを起源とするとされる[4]

「象棋」という言葉自身は先秦時代から見られる[5] が、当時「棋」といえば六博というダイスゲームを指しており、ここでいう象棋は象牙で作った六博の駒の意味で、現在のシャンチーとは無関係だった。また、北周(6世紀)の武帝は象戯というゲームを考案し、『象経』という書物を著した(現存せず)が、これもダイスゲームの一種で、現在のシャンチーとは無関係と考えられる(zh:北周象戲を参照)。秦末漢初時代に活躍した韓信が、楚漢戦争をモチーフにしてシャンチーを考案し、兵士に教えて慰撫したという伝説もあるが、詳細は不明である。

チャトランガ系のゲームが文献にはじめてあらわれるのは代で、『太平広記』に収められた唐代の小説集『玄怪録』の一篇[6] に、将棋の駒の動きを想起させる記述が残されている[7][8]。小説である上に、解釈の難しい箇所があるため、この文章から当時のルールを知ることは難しい。一応以下の事が言える。

駒と盤は金属製であったようだが、明器(副葬品)であるため、これが普通であったかどうかは不明。

駒の種類には少なくとも王・将・車・馬・卒があったらしい。王と将は別々であったようだ。

九宮に相当するものはなく、王・将の行ける範囲に制約はなかったようだ。河については言及がない。

「輜車直入無廻翔」というのは、シャンチーの車よりもむしろ将棋香車の動きを意味しているのかもしれない。

「数百鉄騎……悉高数寸」とあるのは駒が立体であったことを意味しているのかもしれないが、駒ではなく別の副葬品の可能性もある。

『玄怪録』とほぼ同時期の白居易「和春深二十首」には「鼓応投壷子、兵沖象戯車。」といっており、これもチャトランガ系のゲームを指していると見られる。ほかに法蔵『梵網経菩薩戒本疏』で賭博の一種「波羅塞戯」について「是西国兵戯法。謂二人各執二十餘小玉、乗象或馬、於局道所争得要路以為勝也。」と言っているのもチャトランガ系のゲームかもしれない[9]

現在式シャンチーが発生したのは、宋代と考えられている。北宋末期の女性詩人である李清照による『打馬図経』に、シャンチーと同じ配置の図が紹介されており[10]徽宗(在位1101?25)の遺物とされるシャンチーの駒や、北宋の首都であった開封から出土したシャンチーの駒が発掘されている[11]。開封の駒は現在のシャンチーと同じ7種類(将・士・象・車・馬・砲・卒)で、円形の銅製の駒で、裏にはそれぞれの駒に対応する絵が描かれているが、士は女性で、砲は投石器になっている。
ルールの整備と発展

11・12世紀のころには、正確な競技方法は不明ながら、さまざまなルールの異なる象棋が指されていたらしく、李清照の『打馬図経序』(1134)には「大小象戯」という語が見える。また、晁補之「広象戯図序」(『?肋集』所収)では、当時指されていた象棋が縦横11路で、駒は34枚だったと記している(晁補之自身は、囲碁と同じ19路で、駒が98枚の「広象戯」を考案している)。

13世紀の『事林広記[12][13] には象棋の棋譜が残されているが、そのルールは現代のものと同じである。ただし駒の色は赤と黒でなくて白と黒になっており、駒の名称はどちらも「将・士・象・車・馬・砲・卒」で区別がない。

南宋末の宮廷には「棋待詔」という、ボードゲームの専門家が雇われており、10人がシャンチーの専門家(うちひとりは女流)であった[14]

明代に入ると、駒のデザインも現在と同じようになった。また、シャンチーに関する書物や棋譜も増加した。『橘中秘』(1632刊)には馬落ちの棋譜が載っており、駒落ちが普通に行われていたことがわかる。

辛亥革命以降、上海の時事新報(日本の時事新報とは無関係)をはじめとして、多くの新聞にシャンチー専門の欄が設けられた。中華人民共和国では、1956年に公式ルールブック『中国象棋規則』が発行された。その後、数次にわたって改訂されている。書名も1960年に『中国象棋競賽規則』、1999年に『象棋競賽規則』と変更された。現代のルールは、持ち時間制度や先手・後手の決め方など、多くをチェスに倣っている。

文化大革命中は、シャンチーも打破すべき旧文化のひとつとされ、全国大会も1966年を最後に開かれなくなっていたが、1974年には復活した。

公式ルールは、赤を先手としている。このように定められたのはきわめて新しく、1981年のようである[15]
日本への普及「チュンジー」も参照

シャンチーが日本に伝来した時期は明らかではないが、沖縄諸島には比較的早い時期に伝来したものと考えられる。沖縄地方に伝わる盤上遊戯である「チュンジー」はシャンチーとほぼ同じルールである[16]。1972年(日本と中華人民共和国との間の国交が回復した年でもある)に『近代将棋』誌でシャンチーの紹介がなされた[17] ことで、日本の将棋愛好家を中心にシャンチーが知られるようになった。


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