中国茶
[Wikipedia|▼Menu]
黄金桂(青茶)の茶葉

中国茶(ちゅうごくちゃ)は、中華人民共和国中国大陸)及び台湾[注釈 1][1]で作られるおの総称。中国や台湾、古くから西洋への茶の商いで知られる香港はいうに及ばず、世界各地にその愛好者がいる。

中国茶は製法によって大きく六大茶類(青茶黒茶緑茶紅茶白茶黄茶)とその他のお茶(花茶等)に区分される。なお、台湾には独自のブランド凍頂烏龍茶等)や特有の製茶方法(東方美人など)がある為、台湾で作られるお茶を中国大陸の茶と区別して台湾茶と称する場合もあるが、この項目では中国および台湾で製造され、かつ好まれて飲まれるものを「中国茶」とする。
歴史
中国における喫茶

中国では「」は「茶 ちゃ cha」とも「茗 めい ming」とも呼ばれる。唐代に陸羽が著した『茶経』によれば、神農の時代からお茶が飲まれてきたと言われている[2]の時代に書かれたにお茶を表す文字が見られ、それが最古の文献と言われている。当時は、嗜好品というよりもとしての役割が強く、次第にのような食べ物としても利用されるようになった[3]

茶の飲用は南北朝時代に今日の四川省の辺りで始まり、次第に周辺地域に広がった[2][4]代には、お茶を火にかけ煮出す方法や、抹茶煎茶など、さまざまな楽しみ方がされ、同時に茶器の原型といわれるものが多数考案された。唐代には喫茶の風習が北方民族に広まり、茶と馬を交換する茶馬交易が始まるなど、茶は重要な産物として扱われるようになった[4]代に入って、お茶の新しい製法が次々に考案され、茶の種類が大幅に増えた。この時代、闘茶などの遊びも考案された。お茶が主要な輸出品となった。わずかしか生産されない初芽を使った新茶は、かつては皇帝に献上され、いまは国家指導者のためと外国来客の接待用に北京へ直送されたという。明代に入り、朱元璋1391年洪武24年)に福建省において団茶の製造禁止を発令し、中国の喫茶法に変化が生じた。固形茶が廃れ、散茶をお湯に浸して抽出する泡茶法が主流となる[3]。それに応じて茶器のなかでも点茶器が廃れ、茶壺など泡茶器の重要さが増した。代、茶器が現在使われている茶器とほぼ同じ物になった。
日本における中国茶の広まり

1970年代に至るまで、日本では主に緑茶紅茶が飲まれており、中国茶はまだ一般的に認識されていなかった。しかし、当時の人気アイドルグループがテレビ出演の際に「(自分たちが)こんなにスリムなのはウーロン茶を飲んでいるから」などと発言したことによって、中国茶に痩身効果を期待する人が増え、ウーロン茶ブームが起こる(詳細は烏龍茶#清涼飲料水参照)[5][6]

これを契機に、日本の茶葉消費者における中国から輸出された茶葉の割合が増加し、ウーロン茶以外にも多くの中国の茶葉が一般的に愛好され、次第に文化としての「中国茶」が受容された[7]。これにともない、中国茶が1990年代の後半からマスメディアに登場する頻度が高くなり、2000年以降増加し、それらの記事は「ウーロン茶」としてひとくくりに紹介するのではなく、具体的な産地や品種など中国の代表的な銘茶を中国茶として挙げている[8]。ここからも、日本における中国茶の広まりがうかがえる。


日本での中国茶に対する認知が広まると同時に、1994年に日本で初めての本格的な茶芸館が東京池袋にオープンするなど、中国茶を取り巻く環境も大きく変化している[9]。その後、大都市を中心に中国茶の専門喫茶店や茶葉の販売店が相次いで出現した[10]。また、日本中国茶協会(1997年)、日本中国茶文化協会(2001年)、中国茶インストラクター協会(2001年)、日本中国茶文化復興協会(2002年)など、わずか数年の間に「中国茶」の知識や茶芸を広めることを趣旨とした文化団体も次々に設立。これらの専門店や組織を中心に、各地で茶葉や茶の入れ方、楽しみ方などに関する講習が広く開催されている。その中で中国茶葉博物館や中国国債茶文化研究会などとの連携で中国国家茶芸師の資格取得の講座も開催され、2000年代初め頃からは日本人の間で実際に資格を取得する者もある[11]。こうして、日本における中国茶に対する関心や消費が増加し、2000年代後半から多様多種な中国茶が広く認識され、中国茶は普及してきたといえよう。
茶芸詳細は「zh:中国茶?」を参照中国の茶芸

もともと中国には、日本のようなお点前はなく、茶芸は台湾で大手茶問屋の社員だった蔡榮章(現「陸羽茶学研究所所長」)が1970年代後半ごろ日本の茶道を参考に創始したものである。大手茶問屋の茶葉消費促進策で、この問屋が設立した「陸羽茶芸中心」がお茶の知識や淹れ方の技能を問う「泡茶師」の資格試験も実施している。それが、経済成長下の中国大陸に入り、やがて韓国にも広がっていった。明代から清代の初めにかけて、福建省の南部で生まれたとされるウーロン茶の飲み方「工夫茶」が原型になってはいるものの、当時の記録にお茶の入れ方、動作については触れられておらず、もっと手順が簡単だったと見られる。現在の茶芸の茶巾をたたむという所作は、日本の茶道の影響の表れであるといえる。基本的には「日本の茶文化とは、客をもてなす事。中国は美味しいお茶を楽しむ事」と認識される[12]
中国茶の種類

中国茶として飲まれるものを詳細に分類すると数千種にも及ぶとされるが、安徽農業大学安徽省)の陳椽(ちんてん)教授が茶葉の発酵[13][14]の仕方、および製造方法によって1978年に大別した6種類とその他に分けるのが一般的である。6種類の茶は六大茶類と総称され、発酵の進行度合いにより、水色(淹れた茶の色の意)が濃くなり、味も濃厚なものとなる。

本項では各種類の茶と代表的な銘柄を、発酵度の低い順とその他に並べてそれぞれ記述する。
緑茶

中国茶の緑茶は茶葉を摘み取ったあとに加熱処理を行ない酸化発酵を止めた茶、無発酵茶である。加熱の際に茶葉を蒸さずに釜炒りする方法が主流である(日本茶の緑茶は蒸す方法が主流であるが、釜炒り茶も一部に存在する)。水色は日本茶と変わらない。中国においても、緑茶はもっともポピュラーな茶であり、中国本土で消費される中国茶全体の消費量の7?8割が緑茶である。なお基本的には無発酵だが、雲峰などの一部の緑茶では、ダージリンの春摘み茶や烏龍茶紅茶で行われる萎凋(わずかな発酵)を施すものもある。
代表的な緑茶

龍井茶

黄山毛峰

信陽毛尖

碧螺春

廬山雲霧

恩施玉露(蒸し茶)

?緑

白茶

白茶は茶葉の若葉、もしくは芽を選んで摘み、これらをわずかに酸化発酵(萎凋)をさせたところでとろ火にて乾燥させたお茶。揉みこむ工程がないため、発酵はゆっくり進む。その若葉の産毛が白く見えるところから白茶と呼ばれている。水色は金緑色[15]となる。一芯一葉で摘まれることがほとんどであり、白茶には高級品が多い。
代表的な白茶

白毫銀針

白牡丹(中国語版)

白毫(中国語版)

寿眉(英語版)

白毛猴(英語版)

黄茶君山銀針の茶葉。全体的に黄色い。

黄茶は茶葉の芽を摘み、緑茶とは異なるゆっくりとした加熱処理によって酵素による酸化発酵を行ってから、悶黄と呼ばれる熟成工程を経たお茶。茶葉と水色が淡い黄色であるために黄茶と呼ばれる。製造量は年に数百キロにすぎず、六大茶類の中でももっとも貴重品。
代表的な黄茶

君山銀針

霍山黄芽

青茶

青茶はある程度発酵を進ませてから加熱処理を行った茶。半発酵茶とも。ただし、お茶の種類によって発酵度合は10?80%と極めて大きく異なる[16]。茶葉が発酵過程で銀青色(中国語でいう「青」は「黒っぽい藍色」を指す)になるため「青茶」と呼ばれる。よく揉みこまれているため、茶葉のひとつひとつが球状、もしくは曲がりくねった棒状になっている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:70 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef