中国自動車道
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「中国道」はこの項目へ転送されています。中国(中華人民共和国)に存在する「中華人民共和国の高速道路」あるいは「中国の国道」とは異なります。

高速自動車国道
(有料)

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アジアハイウェイ1号線
地図

路線延長540.1 km(国内2位)
制定年1964年昭和39年)
開通年1970年(昭和45年) - 1983年(昭和58年)
起点大阪府吹田市吹田JCT
主な
経由都市池田市宝塚市西宮市神戸市
加東市津山市真庭市新見市三次市
広島市山口市
終点山口県下関市下関IC
接続する
主な道路
記法)E1 名神高速道路
E26 近畿自動車道
   阪神高速7号北神戸線
E1A 新名神高速道路
E2 山陽自動車道
E27 舞鶴若狭自動車道
E95 播但連絡道路
E29 播磨自動車道
E29 鳥取自動車道
E73 米子自動車道
E73 岡山自動車道
E54 尾道自動車道
E54 松江自動車道
E74 浜田自動車道
E74 広島自動車道
E2 山陽自動車道 宇部下関線
E2A 関門橋(関門自動車道)
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

中国自動車道(ちゅうごくじどうしゃどう、英語: CHUGOKU EXPWY[1])は、大阪府吹田市から兵庫県岡山県広島県島根県を経由して山口県下関市へ至る高速道路略称は中国道(ちゅうごくどう)。高速自動車国道であり、政令による正式な路線名は中国縦貫自動車道である。

なお、吹田ジャンクション (JCT) - 神戸JCT山口JCT - 下関インターチェンジ (IC) はアジアハイウェイ1号線「AH1」にも指定されている。
概要西宮市と神戸市との境目付近
兵庫県西宮市山口町名来で撮影

中国自動車道の高速道路ナンバリングによる路線番号は、関門橋(関門自動車道)とともに「E2A」が割り振られている[注釈 1][2]。起終点付近を除き国道2号とは並行していないが、山陽自動車道の並行道路と見なし「E2A」が付番された。

中国自動車道は、中国地方のほぼ中央部を東西に貫く形で建設され1983年に全線開通した。総延長は540.1 kmに及び、高速自動車国道の中では東北自動車道に次いで長い。山間部を中心にICの間隔が長い点も特徴の1つであり、並行する山陽自動車道と比べて距離が長いにもかかわらず、中国自動車道のICの合計数の方が少ない。

高速道路網としては初期に整備された路線であり、中国地方における国土開発幹線自動車道の唯一の東西軸である「中国縦貫自動車道」として指定され、山陽地方からも山陰地方からもほぼ等距離にアクセス出来る中国山地沿いの位置に建設された(#山陽自動車道との関係も参照)。この経緯から丘陵部の山間や山裾を通るルートを経由するため、道路設計に小半径の曲線や急勾配が多用される線形になり[3]、大半の区間で最高速度が80 km/h以下に制限されている(#路線状況)。鹿野IC - 六日市ICの急カーブ
急傾斜な坂道と急カーブが続く。

冬季は日本海からの季節風の影響を受けて、山間部や山口県内を中心に凍結や積雪がしばしば生じるため、冬用タイヤ着用などの規制が実施される場合が多々ある[注釈 2]


内務省土木局が1943年(昭和18年)に計画した自動車国道網(画像左)と田中清一が「平和国家建設国土計画大綱」で提案した全国道路網(画像右)。戦後の高速道路建設は当初田中案を原型に進められた。東京 - 名古屋間では紆余曲折を経て東名の建設が先行したが、中国地方では田中案に由来する中国道の建設が先行した。

山陽自動車道との関係

前述の通り中国自動車道は当初中国地方における唯一の東西軸の高速道路として計画・整備され、開通から1990年代初頭まで、山陽地方や九州方面へのアクセスの根幹は当時唯一の路線であった中国自動車道が担っていた。また、岡山市など山陽地方東部の都市へのアクセスは、当時未開通だった山陽自動車道(以下山陽道)に並行する、阪神高速3号神戸線および国道2号バイパス(第二神明道路 - 加古川バイパス - 姫路バイパス - 太子竜野バイパス)といった自動車専用道路岡山ブルーラインなどが利用されることもあった。

その後、1966年に公布された国土開発幹線自動車道建設法で山陽自動車道が計画され、1987年に行われた国土開発幹線自動車道建設法の改正で山陰自動車道の計画が策定された。1990年代に山陽道の岡山市や広島市などの中国地方の主要都市の中心部近くを通過する区間が開通するとともに漸次交通量が移行し、1992年6月に山陽道の広島JCT - 山口JCT間が全通すると当該区間の通過交通の大半が山陽道へと移行、1993年12月には山陽道の山陽姫路東IC - 広島JCT間も全通し、通過交通や山陽地方都市部への交通の多くが播但連絡道路福崎IC - 山陽姫路東ICを介して山陽道を利用するルートへと移行した。なお、中国道が全線4車線化したのは1992年11月のことであり、既に通過交通の多くが移行しつつある時期であった。

そして1997年に山陽道が全線開通すると、通過交通や山陽地方都市部を目的とする交通は、ほぼ全面的に山陽道へと移行した[注釈 3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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