中国武術
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朝に上海の広場で健康体操の簡化太極拳をしている人々

中国武術(ちゅうごくぶじゅつ)とは、中国大陸に起源を持つ武術の総称。「中国武術」は中華人民共和国中国大陸)では単に「武術(ウーシュー、w?shu)」、台湾では「國術(グォーシュー、guoshu、日本国でこれから転じて国術)」、広東省など両広地方では功夫 とも呼ばれる。また、中国で単に「武術」というと世界中の「武術」「武道」「格闘技」全般を指すこともある。
概説

中国拳法とも日本ではよく呼ばれるが、中国での名称である武術という言葉が示すのは徒手技術である拳法のみではなく、火器を除く武器術も含まれる。武器は中国においては器械、または兵器と呼ばれ、に代表される短器械、に代表される長器械などがある。中国の武術の門派の数は400とも600とも言われるが、徒手拳術と器械を備えている門派が多い。

現在、「武術」(ウーシュー、日本名「武術太極拳」)の競技名で点数制の套路競技(表演競技)や散手(散打)競技(徒手の組手競技)が中国国内だけでなく、世界選手権である世界武術選手権(英語版)など国際的に行われている。(この国際競技スポーツとしての「武術(武術太極拳)」は、節「伝統拳と制定拳」や武術太極拳を参照)

現在、中国での武術の目的は「看」、「健身」、「実用」、すなわち見て美しい演武を行うこと、体を鍛えて健康になること、そして相手を殺傷できる力をつけることの3つであると考えられている。「看」の側面を強調したものは表演武術武術太極拳である。「健身」の側面を代表するものは太極拳である。太極拳の愛好者は世界中に大勢いるが多くの人が武術としてよりも健康法として行われている。「実用」の側面には二つの大きな流れがあり一方は競技化された散打と呼ばれる対戦スポーツ形式の競技であり、一方は民間もしくは様々な武館等に伝承される伝統流派の存在である。こちらは今尚古来より伝わる本来の武としての練功(練習)方法を伝えている。日本の例で例えるなら前者はk-1に見られる競技化の一形態であり後者は伝統保存を目的とした古武術と見る事が出来る。「健身」に関しても古来においては自身を強靭な武器と化す為の命懸けの危険な練功(練習)法も存在した。もともと古代中国において「武」とは戦乱の世を過ごした人々により殺人・殺傷的意味を含み使われていた。しかし漢代の『説文解字』によって「術」という平和的発想に転換した。直接的には『春秋左氏伝』の宣公十二年の故事に由来している。
歴史少林寺千佛堂の壁画嵩山少林寺

中国武術の起源は、漢王朝(前漢後漢紀元前206年 - 220年)の時代に黄河沿いに住んだ人々の自衛も含めた戦(いくさ)の為の教練から始まったといわれている。その後、間もなく娯楽の要素としてや健康法としても見直されるになった。現在、中国武術の門派は多種多様な民族に比例し数え切れない程存在する。そのそれぞれが自らの門派の起源に関する逸話を持っているが、自らの門派が優れたものであることを示すために伝説上の有名人や英雄に創始者を仮託しているものも多く見られる。最も有名な少林拳太極拳について開祖伝説を記しておく。右の壁画は、松田隆智の著書『少林拳術羅漢拳』によると、「中国で発行されている『世界体育』に、壁画は元南京軍区副司令員の銭釣将軍が1917年から1921年にかけて描いたものであるという。」
少林拳の開祖伝説
河南省嵩山にある禅宗の寺院である少林寺は武術の修行場所としても有名であるが、少林寺の武術の起源として、インドから来た菩提達磨が始祖であるという。菩提達磨が少林寺に来て禅宗の教えを授ける際に、少林寺の僧侶たちが体力が無くて精神を鍛えることが出来ないことを嘆き、体力を鍛える秘法、易筋行、洗髄行を授けた。その後洗髄行は失伝したが、易筋行を元にして少林寺で十八羅漢手という武術が発達し、これを元にして少林拳が出来たという。実際には菩提達磨が少林寺で坐禅をしたという伝説があるのみで、武術を授けたというのは後世に作られた逸話といわれている。
太極拳の開祖伝説
少林寺で修行した張三?は、その後に武当山にこもって修行し、道教の吐納法(呼吸法)や導引術(心身鍛錬法)などを合わせた内家拳を編み出した、とされる。少林寺で修行したことなどは、事実を明確に検証する学問である考証学の祖と言われた黄宗羲の子、黄百家が書した「内家拳法」の冒頭に下記のように書かれている。 「自外家至少林其術精矣張三峯既精於少林復従而飜之是名内家得其一二者已足勝少林王征南先生従學於單思南而獨得其全」( 自ら外家の少林に至り、其の術精なり。張三峯既に少林に精し、復た従いてこれを翻し、これに名づけて内家と為す。その一二を得れば、すでに少林に勝つに足る。 王征南先生は単思南に従ひて学びて独りその全てを得たり)このことは、事実を明確に検証する学問である考証学の祖と言われた黄宗羲の子、黄百家が書した「内家拳法」の第一ページ目少林拳等が外家拳と呼ばれるのに対して、太極拳、形意拳八卦掌等は内家拳(武当門)と呼ばれることがある。中国武術の全国的統一組織であった南京中央国術館の武当門の門長に楊氏太極拳三世の楊澄甫が就任しているが、後に各門派ごとの組織に改められ、武当門は廃されている。考証学の祖である黄宗羲が記した王征南墓志銘には、内家拳北宗代の張三?を始祖とし、王征南はその使い手であると記されている。その拳法の詳細を、黄宗羲の子息である黄百家が「内家拳法」[1]に記録している。内家拳と太極拳、紀効新書の拳経との関係を考察する研究がある[2]。その他、太極拳の源流は、河南省の陳家溝という村にあり、ここでは代々、陳氏の一族に伝えられている武術があった。古い武術、おそらくは同じ河南省にある少林寺系統の武術が狭く一族だけに伝えられる内に独自の発達をしたものであると言われている[誰によって?]。また、陳氏の武術には戚継光が著した『紀効新書』の「拳経」三十二勢から技法が採用されている。
義和団の乱
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中国武術の一般名

1911年に馬良が「新武術」という名称を著作『中華新武術』で提唱。

1927年に中華民国の張之江が「國術」という統一一般名称を提案採用される。

1928年に張之江は中央國術館を設立。

1952年中華人民共和国の国家体育運動委員会の運動種目の名称を「武術」とした。

台湾(中華民國)では「國術」のまま存続した。


1980年ごろ新武術というあらたな種目も提案される。

分類

中国の武術は有名なものだけでも400種類以上と言われ、その全てを網羅することは不可能であり、また分類整理も完全とは言えない。中国の武術をいくつかに分類する方法があるが、いずれも異論がある。
外家拳と内家拳太極拳の創始者・張三?

少林拳のように筋骨、体力を鍛え、体を外面から強くして剛力を用いる武術を外家拳と呼び、太極拳のように呼吸や内面を鍛えて柔軟な力を用いる武術を内家拳と呼ぶ。しかし、実際には少林拳も初期の練習でこそ筋骨を鍛えるが、練度が進むと内面を鍛え、逆に、太極拳にも剛の力が多く含まれている。武術を深く理解しない者が表面的な技法のみを見て行った分類だと考えられることから、現在では重視されることはほとんどない。

少林拳は仏教の寺院で学ぶ武術であるので出家した者、即ち家の外にいる者が修める武術であるので外家拳、太極拳は出家しない道教の信者、即ち家の内にいる者が学ぶので内家拳である、とする説もあるがあまり一般的ではない。別の説として、黄百家の「内家拳法」がある。しかし、一般的に言われる内家拳との関係は不明であり、また太極拳との関係も不明である。

ちなみに日本では内家拳の普及度が高く、海外では外家拳の普及度が高い。これは中国系移民が広東省福建省といった外家拳が盛んな地域出身者が多い為と言われている。
少林派と武当派と峨眉派

多くの武術が少林寺の武術を起源とする伝説を持つことから、少林拳を含めて数多くの武術を少林派と呼び、太極拳の創始者とされた張三?が修行した場所が武当山であることから太極拳を武当派武術と呼ぶ。太極拳の門派の者が少林拳門派に対抗意識が強いために、2つの門派が対等で対立しているという発想から無理に考えられた呼称であるように思われる[要出典]。別の説として、1928年に南京中央国術館が開設され、当初は学科として、少林門と武当門が設けられた。


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