「中国新聞SELECT」とは異なります。
中國新聞
中国新聞広島本社
種類日刊紙
サイズブランケット判
事業者中国新聞社
本社広島
代表者代表取締役社長 岡畠鉄也
創刊1892年(明治25年)5月5日
前身中國
言語日本語
価格1部
(朝刊)160円
(SELECT)70円[1]
月極
(朝刊+SELECTセット)4,840円[1]
(朝刊のみ)3,900円
発行数48万7,981部(2024年2月15日現在[2])
ウェブサイトhttps://www.chugoku-np.co.jp/
中国新聞(ちゅうごくしんぶん、題字: 中國新聞)は、広島県広島市に本社を置く中国新聞社が発行している地方新聞である。 1892年5月5日創刊。最大印刷ページ数は40ページ。広島県を中心に同じ中国地方の山口県、岡山県、島根県でも発行・販売されている。鳥取県では、島根版を他紙販売店に委託し一部地域で販売している[注釈 1]。この他にも四国地方の愛媛県の島嶼部(芸予諸島)でも販売されている。電子版も発行しており、発行地域外でも購読可能である。広島県の県紙であると同時に中国地方における購読者が多く、発行部数も地方紙として最大規模なことからブロック紙として扱われることも多い[3][4][5]。より多くの人口を有する北部九州のブロック紙である西日本新聞より発行部数が多い。 地元の視線で書かれた記事も多く、特にマツダに関する報道が多い。また原爆(核兵器)や平和に関する記事でも高い評価を得ている[注釈 2]。なお、反暴走族の論調や暴力団追放キャンペーンでも知られている。さらに広島県には広島東洋カープ(プロ野球)、サンフレッチェ広島(日本プロサッカーリーグ)、広島ドラゴンフライズ(ナショナル・バスケットボール・リーグ)、JTサンダーズ広島(日本バレーボールリーグ機構)、湧永製薬ハンドボール部(日本ハンドボールリーグ)など地元に一流のプロスポーツチームが多数存在するため、スポーツ記事も充実している。 2005年11月には、廿日市市大野に中国新聞広島制作センター(通称「ちゅーピーパーク」)が完成し24個面フルカラー印刷が可能な輪転機を備えた。さらには、広島市のほか福山市、周南市の3本社体制で新聞の発行を行っている。2012年11月1日より、東京都中央区銀座にある広島ブランドショップ「tau(たう)」でも中国新聞とデイリースポーツ広島版を購入できるようになった。昼頃から販売される[6]。 2015年4月30日を以って91年続いた夕刊を休刊している[7]。販売地域が複数の都府県にまたがる地方紙、いわゆるブロック紙のレベルで夕刊を休刊するのは中国新聞が初めて[8]。同年5月1日には「第二の朝刊」と位置づける『中国新聞SELECT』を創刊した[9]。朝刊と同サイズのフルカラー16面構成で[1]、一部の夕刊の連載も引き継いでいる[注釈 3]。原則として火曜日から日曜日発行[9]。創刊当初は、朝刊と併せての配達のみだったが、2016年5月からコンビニエンスストアなどで1部売りを開始した[1]。 近年の発行部数に関しては、中国新聞社販売局調べで2017年が61万2,272部、2019年は58万3,208部、2020年が55万4,596部、2023年8月15日では50万3,804部[10]、2023年10月15日では49万8,369部[11]、2023年12月15日では49万4,260部[12]、2024年2月15日現在では48万7,981部[13]に推移している。 2011年3月1日より、中国新聞朝刊電子版を創刊した[17]。本紙朝刊の定期購読者であれば、全ての朝刊地方版をパソコン上で無料購読することができる。なお、月額1,100円(税込)を追加で支払うことでiPadもしくはiPhoneからも閲覧可能になる。朝刊を購読していない場合、全て有料で提供される。料金は月額3,300円(税込)。 かつて、中国新聞の全紙面をA4サイズに縮小し、一冊の書籍にまとめた中国新聞縮刷版(縮刷版)が発行されていた。1966年8月から1975年5月までの発行分が存在する。現在は廃止されている。 最終面に主な地デジテレビ局、中面にその他テレビ局、BS/CS、ラジオ局を掲載している。 地域版最終面中面備考
概要
歴史中国新聞の題字(背景は厳島神社の大鳥居)
1892年5月5日 日刊「中國」として創刊。
1908年6月21日 紙齢5000号を機に、題字を「中國新聞」に改名。
1941年9月1日 傘下の呉新聞が芸備日日新聞を統合。
1945年8月6日 原爆投下のため、本社が被災。社員114名が犠牲となった[14]。朝日新聞社に代行印刷を依頼し、2日間休刊して同月9日から再発行。
1948年 中国新聞が呉新聞を統合。
1959年 新聞協会賞の編集部門で連載企画「瀬戸内海」が受賞。
1965年 暴力追放キャンペーンで菊池寛賞受賞。新聞協会賞の編集部門で連載企画「ヒロシマ20年」など一連の原爆報道が受賞。
1982年1月1日 紙面の文字を拡大し、1段15文字から13文字に移行。
1985年 新聞協会賞の編集部門で「ヒロシマ40年」報道が受賞。第二社会面の連載「ほのぼの」が「小さな親切運動」特別賞受賞。
1986年10月15日 新聞協会賞の編集部門で連載企画「シベリア抑留」が、経営・業務部門で「地域情報ネットワーク」がダブル受賞。
1987年 新聞協会賞の経営・業務部門で「ひろしまフラワーフェスティバルの創造と展開」が受賞。
1990年 新聞協会賞の編集部門で連載企画「世界のヒバクシャ」が受賞。
1991年5月7日 紙面の文字を拡大し、1段13文字から12文字に移行。
1992年1月1日 同年の創刊100周年を機に、“新”の字の偏を“立+未”から“立+木”に改める。
同年10月15日 新聞協会賞の経営・業務部門で「エリアデータベースの構築と活用?情報新時代の販売所経営」が受賞。
1995年 田城明記者のインタビューシリーズ「核時代 昨日・今日・明日」でボーン・上田記念国際記者賞受賞。新聞協会賞の編集部門で「ヒロシマ50年」の報道(特集「検証ヒロシマ」、連載「核と人間」、インタビューシリーズ「核時代 昨日・今日・明日」など)が受賞。
1996年4月1日 ホームページ開設。
1999年 新聞協会賞の編集部門で「であい しまなみ」が受賞。
2001年1月4日 紙面の文字を拡大し、1段12文字から11文字に移行。
同年5月1日 「中国新聞 備後」と「中国新聞 山口」の本社版を創刊し、3郷土紙体制に移行。
2002年 新聞協会賞の編集部門で「断ち切れ 暴走の連鎖?『ただいま』が聞きたくて」が受賞。合計11回目の受賞であり、地方紙の最多受賞記録を更新。
2003年5月1日 新印刷工場の福山制作センター(プレッセびんご、2005年11月から「ふくやまちゅーピーパーク」)が本格稼動。3本社がそれぞれ独自の紙面作りを開始。
2008年3月24日 紙面の文字を拡大し、1段11文字から10文字に移行。
2009年 新聞協会賞の経営・業務部門で「夢のボールパーク誕生サポート?地域とともに歩む総合メディア企業の実践?」が受賞。
2011年10月1日 紙面の文字を面積比で約12%拡大。
2015年4月30日 夕刊を休刊した[7]。
同年5月1日 夕刊の代替として中国新聞SELECTを創刊[7]。
2022年 新聞協会賞に防長本社編集部(前編集局報道センター映像担当)の安部慶彦が手掛けた写真連載「太田川 恵みと営み」が選ばれた。
2023年8月1日 同日から月極め購読料を値上げすることを同年7月に発表した[15]。
題字
中國 - 1892年(創刊当時)
廣島日刊中國 - 1899年頃
廣島中國 - 1901年頃
廣嶋日刊中國 - 1905年頃
中國新聞 - 1908年頃
廣島中國新聞 - 1912年頃
中國新聞 - 1936年頃(現在)
2012年5月5日付朝刊の創刊120周年特集より引用。
提携紙
ブロック紙3社連合
北海道新聞(道新スポーツを含む)
中日新聞(東京新聞、北陸中日新聞、日刊県民福井、中日スポーツ、東京中日スポーツを含む)
西日本新聞(西日本スポーツを含む)
河北新報
新潟日報
神戸新聞
山陽新聞(2009年12月より、広島県と岡山県の記事を相互交換している[16])
各版
本社版
広島本社版(広島県西部、島根県、鳥取県)
広島県と山陰地方では、ラテ欄等の体裁が異なる。
備後本社版(広島県東部、岡山県)
題字の下に「備後」の文字が記載されている。
防長本社版(山口県)
題字の下に「山口」の文字が記載されている。
地方版
広島県
広島都市圏
呉・東広島
県北
福山・尾三
備後版
広島都市圏(1面)
井笠おかやま(1/3面)
県北(1/3面)
呉・東広島(1/3面)
福山・尾三(1面)
備後(1面)
中国ワイド(2面)
山口県
山口総合
防長路
岩柳 周南・山口
岡山県(備後版と同内容)
広島都市圏(1面)
井笠おかやま(1/3面)
県北(1/3面)※注:広島県の県北
呉・東広島(1/3面)
福山・尾三(1面)
備後(1面)
中国ワイド(2面)
島根県
島根
鳥取県
鳥取(現在は廃止されており、鳥取県の情報は島根版の「山陰ねっと」に掲載。)
電子版
縮刷版
ラテ欄
テレビ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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