中国国際放送
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中国国際放送
China Radio International

略称CRI
設立1940年12月30日
業種情報・通信業
代表者慎海雄(事業法人中央広播電視総台局長)
主要株主事業法人中央広播電視総台
外部リンク ⇒中国国際放送局
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中国国際放送
運営中国国際放送局
設立1940年12月30日
在籍国 中国
所在地 中国 北京市 石景山路 甲16号
演奏所同上
外部リンク ⇒中国国際放送局

中国国際放送局
各種表記
繁体字:中國國際廣播電台
簡体字:中国国?广播?台
?音:Zh?ng Guo Guo Ji Gu?ng B? Dian Tai
日本語読み:ちゅうごくこくさいこうはでんだい
英文:China Radio International (CRI)
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中国国際放送(ちゅうごくこくさいほうそう)は、中華人民共和国の対外向けラジオ放送(国際放送)。
概説

国家新聞出版広電総局直属の組織で、同国唯一の国家国際放送局である中国国?广播?台[zhongguo guoji guangbo diantai ](中国国際放送局、英語:China Radio International、略称:CRI)が、首都北京から約200か国に向けて放送を行っている。放送は、中国の共通語(普通話)及び4つの方言、38の外国語を用いる。以前は「北京放送」、英語では「RADIO PEKING」と称しており、日本語など一部言語では現在も「こちらは北京放送・中国国際放送局です」とアナウンスしている。

放送開始時の音楽インターバル・シグナル (IS) は全言語共通で、中国国歌である義勇軍進行曲の冒頭をアレンジしたものである。朝鮮語放送など一部で音程が高いものもある。以前は「東方紅」のメロディーを使用しており、現在もインドネシア向け放送の一部で「東方紅」を用いる。

ステーションコールは言語により異なる。日本語放送は女性アナウンサー中国語の放送局名と日本語の放送局名をアナウンスするが、ロシア語放送などで男性と女性のアナウンサーがそれぞれ、中国語と放送言語の両方をアナウンスする放送もある。

2006年に、ケニアナイロビラオスビエンチャンから現地向けFM放送を開始した。

2018年に、モバイルアプリの「CRI日本語」がiOSとアンドロイドのアプリストアで公開され、公式サイトが刷新された。
沿革

1940年12月30日 - 中国共産党による最初の放送局、延安新華広播電台が、延安市から放送開始(短波)。呼出符号はXNCRで、「NCR」は“New Chinese Radio”の意味を込めた。

1941年12月3日 - 最初の海外放送として、日本語放送開始。

1943年春 - 延安新華広播電台、送信機の重大な故障により放送停止。3月8日の説がある。

1945年8月 - 延安新華広播電台、日中戦争の終結前後に放送再開。

1947年3月21日 - 延安新華広播電台、国民党軍の攻撃により移転し、陝北新華広播電台と改称。

1947年9月11日 - 陝北新華広播電台、英語放送開始。

1949年3月25日 - 陝北新華広播電台、北平(現・北京)に移転し、北平新華広播電台と改称。

1949年9月27日 - 北平新華広播電台、北京新華広播電台と改称。

1949年10月1日 - 北京新華広播電台、中華人民共和国中央人民政府成立慶祝大会(開国大典)を天安門から実況中継。

1949年12月5日 - 北京新華広播電台第一台、中央人民広播電台と改称。

1950年4月10日 - 中央人民広播電台、対外放送に「北京広播電台」(英称は“Radio Peking”、日本語による呼称は「北京放送局」)の呼称を使用開始。北京放送局、ベトナム語ビルマ語タイ語インドネシア語放送を開始(朝鮮語放送も試験的に開始)。東南アジア華僑向け放送には、中央人民広播電台の呼称をそのまま使用。起用し「東方紅」の冒頭部分から曲として。

1950年7月2日 - 北京放送局、朝鮮語放送を正式に開始。

1966年7月1日 - 中国の文化大革命が開始されるとISが「東方紅」に代わる。

1993年1月1日 - 名称を中国国際放送に変更。ISが「東方紅」から中国の国歌「義勇軍進行曲」に代わる。

日本語放送

日本語放送中華民国時代の1941年12月3日に延安新華放送局として開始された。開局当初は日中戦争で戦う兵士へ向けた投降の呼び掛けや反軍国主義宣伝プロパガンダ)が中心で、主たる聴取者捕虜収容所に収容された 日本兵だった。

1966年 - 1976年文化大革命の時期は、毛主席語録の紹介や革命歌のコーナーなど、文化大革命の影響により政治色の強い番組構成だった。このため中国共産党との関係が悪化していた日本共産党では、機関紙「しんぶん赤旗」に北京放送(日本語放送)の番組表を掲載していたが掲載するのを止めた。

1976年に文化大革命が終結し、1978年以降から改革開放政策が実施されるようになると、政治色は弱まり、娯楽色の強い番組構成になっていった。

1970年代 - 1980年代の日本の「BCLブーム」の頃は、1972年の「日中国交正常化」や1978年の「日中平和友好条約」の締結など友好的な雰囲気だったので「北京放送を聴く会」という聴取者団体ができて放送局と交流するなど熱心なリスナーも存在していた。

2000年代以降は、改革開放政策が進展して経済成長を遂げており経済関連番組や中国の音楽や映画などのエンターテインメント情報番組や中国語の語学講座などの番組構成となっている。

日本語部は東北アジア・中央アジア放送センター(日本語・朝鮮語・モンゴル語・カザフ語)に属している。

山梨県にあるテレビ山梨 (UTY)(TBS系列)と1985年から長年にわたって友好関係を築いており、中国国際放送日本語部のアナウンサーの研修をテレビ山梨 (UTY) 側が受け入れたり、上海探偵団など日中が関わる特別番組を共同で制作したりするなどしている。

2020年10月12日から「CGTN Japanese」として動画ニュース番組を配信(これまではCRI日本語放送として配信)。[1]
番組内容

2005年12月15日まで、夜の日本語放送は18:30から翌日00:26までの6時間を通して放送(最後の23:30からの放送は一部解説番組などは省略)。番組編成は1時間単位とし、リスナーの生活時間帯などを配慮して、日本時間18時30分開始の分を初回放送とし、以後ニュース・時事解説・中国レポート(後者の2つはほぼ趣旨が同じ)などの報道番組を除き、再放送を翌々日まで1時間ずつずらして合計6回行った。

例、月曜日18時30分初回の番組は月曜21時30分、火曜19時30分と22時30分、水曜20時30分と23時30分の合計5回再放送した。

その後2005年12月16日から2013年3月31日放送(実質は4月1日午前8時開始分)までは番組改正に伴い夜の放送での1044kHz(過去には夜の放送に限り7190kHzも該当)を除く周波数を1時間ごとに区切るようにした。日本語放送は30分繰り下げの毎日19時の放送で番組内容を更新するが、従来と同じく報道番組以外は基本的に1時間単位で、本放送を含む放送当日と翌日の合計8回に渡って放送されていた。

例、月曜日19時初回の番組は、月曜21時・23時、火曜7時・8時、及び20時・22時・24時(水曜0時)の7回再放送されていた。

2013年4月1日以後は放送時間ごとの周波数は1時間単位で変わらないものの、番組を3時間のワイド番組と見立てた「ハイウェイ北京 CRI中国情報ラジオ」としてリニューアルし、日本時間19-22時までを初回放送、22時-翌日1時(深夜25時)と、翌日7時-9時に再放送(翌日早朝分は19時台の再放送はなし 土曜・日曜は19時から20時のみが初回で残りは同じ番組を合計7回繰り返し)を行うという体裁となった。

毎時00分からのニュースはこれまでの10分から5分に縮小し、時事解説・中国リポートは廃止(実質的には19時、22時のそれぞれ15分目から放送される「チャイナエクスプレス」のコーナーがその後継になる)。


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