中国内地
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、「チベット」・「新疆ウイグル」・「満洲」・「南モンゴル」などを含まない歴史的な漢民族の居住エリアを指す、
英語の「China proper」について説明しています。

日本語圏で「中国本土」と呼ばれることが多い、「中華人民共和国」のうち「香港」・「マカオ」を含まない地区については「中国大陸」をご覧ください。

.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "中国本土" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2021年2月)

このページ名「中国本土」は暫定的なものです。
代案としては中国本部、中国要部があります。
議論はノート:中国大陸#「mainland Chaina」と「China proper」とを参照してください。(2020年6月)
清朝末期の中華帝国 (Chinese Empire) の地図1910年
右下記載の凡例(REFERENCE)によると、清の領土は濃い黄色の「中国」 (China) と薄い黄色の「中国の属領」 (Dependencies of China)とに塗り分けられている。また、下線の引かれた都市名に対する解説文では「中国及びチベット」(China and Tibet)と両者を別個に区分している。

中国本土(ちゅうごくほんど、英語: China proper)は、中国領域の中で歴史的に漢民族が多数派民族である地域を、清代以降中国に内包された他の地域(外中国)と対比して指す表現。

中国本土の面積はおよそ390万km2とされ[1] [2]東トルキスタン新疆)、チベット満洲中国東北部)、モンゴルは歴史的に中国の内地本土とは見なされない「外中国」の地域とされる。
名称

中国語では「漢地」または「漢境」「漢疆」等と表現され、かつて日本では支那[注 1]、支那本部[3](しなほんぶ)と呼ばれていた。日本の人文科学で「シナ」(カタカナ表記)と呼ばれる歴史的領域の最終的な姿にほぼ一致する。

中国本土は、北方の外中国の広大な領域とはおおむね万里の長城によって区画されており[4][5]清朝の時代に入ると中央政府が設置する十八の「」によって管理された[注 2]。そのため、清朝から中華民国初期にかけての時代(清末民初)には内地十八省(ないちじゅうはっしょう)という表現が用いられていた。
概念の起源

「中国本土」という概念に相当する英語「チャイナ・プロパー(China proper)」などの表現が、いつ頃西洋で用いられ始めたのかははっきりしていない。米国の中国専門家ハリー・ハーディングによれば、その用例は1827年まで遡ることができるという(Harding、1993)。しかし、それ以前にも、1795年にウィリアム・ウィンターボサムが、著書の中でこの概念に触れている(Winterbotham, 1795, pp.35-37)。清朝の中国帝国について述べる際に、ウィンターボサムは、これを中国本土(China proper)、中国領タタール地域(Chinese Tartary、満洲)、朝貢国に三分している。ウィンターボサムは、デュ・アルド[注 3]やグロシエ[注 4]の説に従い、「China」の呼称はに由来すると考えていた。その上でウィンターボサムは、「シナ(China)と、本来(properly)呼ばれるのは、…… 緯度で南北18度、経度で東西はもう少し狭い範囲」と述べている。

しかし、中国本土(チャイナ・プロパー)という用語を導入しながら、ウィンターボサムは1662年に廃されたの15省体制に基づいた記述をしている。明の15省の地方区分と比べると、ウィンターボサムは江南(Kiang-nan)を省名としているが、この地域は明代には南直隷と呼ばれており、江南に改称されたのは満洲族が明を倒した翌年1645年のことであった。この15省体制は、1662年から1667年にかけて18省体制に再編された。ウィンターボサムが中国本土(チャイナ・プロパー)の説明に、15省体制を前提としつつ江南省の名称を用いたということは、この概念が1645年から1662年にかけての時期に登場してきたことを示している。

1795年のウィンターボサムの著書以前にも、中国本土(チャイナ・プロパー)という概念が用いられている例はあり、1790年の雑誌『The Gentleman's Magazine』や、1749年の雑誌『The Monthly Review』にも用例がある[注 5]

19世紀には、「チャイナ・プロパー」という用語は、中国当局者がヨーロッパの言語でコミュニケーションを図る場合にも使われるようになる。例えば、清が英国に派遣した大使曽紀沢は、1887年に英文で公表した記事でこの用語を使っている[6]
中国における認識と論争アメリカ合衆国プロパガンダ映画ザ・バトル・オブ・チャイナ』における「中国」の地図(1944年
当時の連合国が「中華民国の領土」と認識していた範囲[注 6]の中で、中国本土(China Proper)と満洲(Manchuria)・モンゴル(Mongolia)・新疆(Sinkiang)・チベット(Tibet)が明確に区別されている。

「中国本土」の概念は、中国へは時代後期にもたらされ、後述のように18個のが統治する地域を「内地十八省」と表現するようになった。

また、清朝末期から中華民国の初期にかけての時期(清末民初)には、革命派中国共産党の関係者にこの概念が受容されて「中國本部」という用語が使用されるようになった。例えば、鄒容の『革命軍』(1903年)第四章「革命必剖清人種」[7]孫文の『実業計画』(1921年[注 7]中国共産党第二次全国代表大会(1922年)の「大会宣言」[8]や「『帝国主義と中国および中国共産党』に関する決議案」[9]などには「中國本部」という表現が用いられていた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef