中国中車青島四方機車車輛股?有限公司
CRRC Qingdao Sifang Locomotive & Rolling Stock
Co., Ltd.種類株式会社(中央企業)
略称中車四方
本社所在地 中国
266111
山東省青島市城陽区棘洪灘街道
錦宏東路88号
設立1900年
業種輸送用機器
事業内容鉄道用車輛の製造
総資産101億人民元
従業員数6500名以上
主要株主中国中車股?有限公司
外部リンク ⇒http://www.crrcgc.cc/sfgf
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中国中車青島四方機車車輛股?有限公司(ちゅうごくちゅうしゃちんたおしほうきしゃしゃりょうこふんゆうげんこうし CRRC Qingdao Sifang Locomotive & Rolling Stock Co., Ltd. )は中華人民共和国山東省青島市にある鉄道車輛の設計、製作を行う企業。中国中車グループに属する。 青島四方機車車輛は中華人民共和国の副省級市である青島市にあり、その前身は四方機車車輛廠で、在青島ドイツ総督府によって1902年に創設された。今日までに開発製造された機関車は60種類以上、客車は200種類以上にのぼる。現在では、高速鉄道車両や地下鉄車両などの電車を主に中国国鉄や北京地下鉄向けに開発製造する企業である。多くの鉄道関連技術の開発と生産の記録を持ち、旧鉄道部が定める6つの鉄道インフラ近代化重点協力企業の一つであり、山東省の136個の重点企業と青島市の十強企業の一つである[1]。青島四方は棘洪灘と四方に生産拠点を持ち、子会社として青島四方客車修理股?有限公司、青島四方鉄路運輸設備装配股?有限公司、青島四方阿?斯通鉄路運輸設備有限公司(青島四方アルストム鉄路運輸設備、略称:AST)等をもつ。
概要
沿革
1900年10月 - 膠済鉄道と共に膠済鉄道四方工廠として起工。
1902年 - 四方駅附近に建築面積1万平米超、工員400人以上の規模で完成。
1903年 - 試験生産後、膠済鉄道の全ての機関車、車両の組立てと整備業務を担当。
1915年 - 第一次世界大戦により日本が占領、山東鉄道青島工場と改称、工場の規模が拡大され、工員は1,500余名となる。
1923年1月 - 山東還付条約により中華民国に売却、交通部膠済鉄路管理局四方工廠と改称。
1937年 - 支那事変勃発により膠済鉄道の車両、設備などを内陸部へ疎開させる。
1938年 - 日本が再占領し、華北交通の管理下に置かれる。
1944年以降 - 戦局の悪化により迫撃砲弾の試製などを行なう。
1945年10月 - 滄口にあった東亜重工業の鋼鉄工場が四方工廠へ移管され、滄口分工場となる。(後の四方機廠鋳造廠)
1945年11月26日 - 日本の敗戦により南京国民政府が接収。当時の敷地面積は26ha、建築面積51,300平米、各種機器は937台、工員3070人であった[2]。
1949年6月2日 - 解放軍が青島を占領、四方鉄路工廠を接収。
1949年10月 - 中華人民共和国建国後、四方鉄路工廠は中央人民政府鉄道部の直属となり、鉄道部青島四方機車車輛工廠と改称、略称は四方機廠となる。しかしこれまでは輸入された部品を用いて機関車などを組立てていたのに過ぎず、完全に新造された車両の製造を手がけた事は無かった。
1952年7月26日 - 四方機廠で北京当局の手による初めての蒸気機関車が完成、試運転が行なわれた。完成時の型番は“MK1型2102号”(中国語: ??1型2102号)、後の解放1型である。zh:解放型蒸汽机?
1953年2月10日 - 鉄道部機車車輛製造局四方機車車輛製造工廠と改称。
1954年 - 貨車の製造を終了。
1954年12月 - 鉄道部が正式に四方機車車輛工廠を鉄道用客車の設計製造の主導工廠に指定[3]。
1959年 - 北京当局初の液体式ディーゼル機関車「衛星号」を製作。型番はNY1型。
1966年1月 ? 東方紅1型液体式ディーゼル機関車
川崎重工業との技術提携を受けて研究開発・製造に着手し、2007年より中国鉄道部(現・中国鉄路総公司)に納車を開始(第6次高速化)。