この項目では、中国の麺類全般について説明しています。小麦粉を原料とする中国発祥の麺については「中華麺」をご覧ください。
中国の麺類
麺線をつくる様子(台湾、鹿港鎮)
種類麺類
発祥地中国
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麺は中華料理に欠かせない食材、主食である。中国の麺類(ちゅうごくのめんるい)は、産地、材料、形や麺の幅、調理の仕方によって大きく異なり、中国・台湾のほとんどの郷土料理、華僑の多く住む国にとって重要な食材である。
中国風の麺は近隣の東アジアの料理にも移入し、韓国のチャジャンミョンや日本のラーメンなどがある。類例は東南アジア諸国にも見られ、ベトナム、カンボジア(クイティウ
)さらにタイやフィリピン、スリランカ、インドでも見られる。中国の言語の多様さのために、中国での麺の呼び方は複雑である。標準中国語では、mian (簡体字:面、繁体字:?)は小麦粉に限らず穀物を粉末にして練った生地を指す[1]。mianはもとは小麦粉そのものの名称でもあった。その後、小麦粉製品全般を指すようになり華北では麺を特に「麺条」(ピンイン:miantiao、簡体字:面条、繁体字:?条)と呼ぶようになったが、広東などの華南では古称のmianで通されている[2]。
中国語以外の言語においては標準中国語のピンインの音を引用するが(小麦粉から作られた麺は"mien" あるいは "mein"、ほかの麺は"fun"など)、香港と広東省における広東語の発音では小麦粉の麺は"meen" あるいは"mien" 、ほかの麺は"fun"となる。台湾、マレーシア、シンガポール、および東南アジアの華僑のコミュニティでは、小麦粉から作られた麺を"mee"と発音するなど、?南語・泉?語(福建話、?南話、台湾話)の発音が使われる場合がある。 麺はどこで発明されたのか、という問題には諸説あって定説がない[3][4]。中国起源説を支持するものとして、2005年の喇家遺跡(中国青海省民和回族土族自治県官亭鎮喇家村)での発掘調査がある。調査では約4000年前の麺が発見されており、この調査結果は中国の麺類はイタリアやアラビアより古く、夏(前2070年頃 - 前1600年頃)の時代から世界最古の歴史がある可能性を示唆している[3][5][6][7]。発見された麺は、今日多くの麺が小麦から作られているのに対して、高い食品加工技術でアワ・キビから作られていた[6][7]。ただ、麺の起源については中東発祥でアラブ人によってイタリアにもたらされたという説も根拠を備えており、喇家で見つかった麺がアジアの麺類、さらにはイタリアンパスタの源流であると断定するにはほかの根拠も要する[7]。パスタはマルコ・ポーロが中国から持ち込んだ、とする俗説があるがこれは誤りである[8][9][10]。 中国の麺文化は小麦の栽培と製粉、製麺技術の進歩とともに発展を遂げた[11]。小麦とその製粉技術は漢代にシルクロード経由で西方から中国にもたらされたとされる[11]。製粉技術については漢代初期に「磨」というすり臼が出現するが、古代ギリシャやローマには稚拙なものから発展過程の分かる様々な形のものが出土したのに対して、中国では突然に完成度の高いものが出土していることから手回し回転の石臼は西方から中国に伝播したことが分かる[12]。 前漢(前206年 - 8年)では、軍事的な需要から王朝は貯蔵がより簡単でコストの低い食品加工技術を導入する必要があった。この時期に「ラオ麺(Laomian)」が登場し、でんぷんが豊富で水分含有量が少ないそば粉、キビ粉、エンドウ豆粉によって保管や輸送が容易になった[13]。麺に関する書面による記録のうち最古のものは、後漢時代(西暦25年 - 220年)の書籍に見られる[14]。唐代に入る少し前に水車小屋が導入され、水車と連動させて回転する脱穀と製粉が効率よくできる「碾磑(てんがい、?音:ni?n wei )」を利用した大々的な製粉が行われるようになり[2]、麺(多くの場合小麦生地から作られるもの)は、漢代の間には主要な主食になった[15]。
歴史