中国の竜
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中国の竜
真珠を手にした中国の金属製の竜
中国語
繁体字
簡体字 ?

発音記号
標準中国語
漢語?音long
注音符号????
?語
ローマ字li?ng
粤語
粤?lung4
?南語
?南語白話字leng, liong

日本語
旧字体
ひらがな 1. りゅう
2. たつ
朝鮮語
ハングル1. ?/?
2. ??[1]
漢字

発音記号
RR式1. ryong/yong
2. mireu

ベトナム語
クオック・グーr?ng, long
タイ語
タイ語????????

中国の竜(ちゅうごくのりゅう)では、中国におけるについて記述する。

竜(龍[注釈 1]音読み: りゅう[注釈 2]、簡体字: ?[注釈 3]?音: long(ロン))は、本来的には中国の神話・伝承や造形美術にみられる想像上の動物を指すが、その概念は日本朝鮮ベトナムにも伝播し、それぞれの文化に組み込まれている。また、西洋のドラゴンも竜と翻訳され、逆に東洋の竜は西洋語では dragon (英・仏)などと訳される。ここでは主として中国固有の竜について述べる。
概要

竜はカメ、あるいは空想的な生き物など様々な姿をしているが、一般的には四足の蛇に似た姿で描かれる。陰陽の用語では、陽は竜であり、またしばしば鳳凰と並列される。

中国の竜は、伝統的に、特に降雨台風洪水を制御する、強力で縁起の良い力を象徴している。さらに、貴人の力、強さ、そして幸運の象徴でもある。中国の皇帝(一覧)にとっても、竜は常に皇帝の権力と強さの象徴だった[2]

日常的な中国語では、実力や気品のある人々は竜に喩えられる。これに対して、実力や気品のない人々は虫に喩えられる。中国のことわざや慣用句のいくつかは、竜に言及している。例えば、望子成龍(「自分の息子が竜になることを望む」)などである。

既存の生物が修行などの末に竜に成るという伝承も古来存在し、蛇や鯉など鱗を持つ生き物の他、キツネ[3]や馬[4]等が変化するという昔話等も存在する。
象徴的価値

歴史上、竜は皇帝の象徴だった。末には、清の国旗に使用された[5]

竜は中国の国章として欧米で使用されることがあった。しかし、中華人民共和国中華民国台湾)の両方で、国の象徴という使い方は一般的ではない。代わりに、文化の象徴として一般に使われる。香港では「Brand Hong Kong」の意匠の一部となっており、国際的なブランド名として香港をプロモーションするシンボルとされている[6]。ヨーロッパの影響を受けた文化では、竜は攻撃的、好戦的な意味合いを持っており、そのために中国政府が竜をシンボルとして使いたがらないと推測されている[7]

中国人は、民族的アイデンティティの印として、「竜の子孫」(龍的傳人、?的?人)という言葉を使うことがある[5]。1970年代に始まったひとつの潮流では、中国以外のアジアの人は、自己表現のために動物のシンボルを探していた[5]。モンゴルはオオカミ、チベットはサルが使用された[5]

今日の中国文化では、竜は主に装飾で使われる。竜を醜く描写するのはタブーである。
国の象徴

1862年から1912年までの清国国旗には青竜に似た意匠の竜が使われていた他、1913年から1928年までの中華民国の国章にも十二章のひとつとして竜が使われていた。

1862年から1889年までの清国国旗

1889年から1912年までの清国国旗

1913年から1928年までの中国の国章

竜崇拝
起源

中国の竜は、トーテムや自然の生き物を様式化した描写を起源に、神話の動物へと進化した、「?五百年化為蛟、蛟千年化為竜、再五百年為角竜、千年為応竜」。古典学者である聞一多は、竜は古代の部族抗争の過程でヘビなど複数のトーテムが吸収・合成されて創りだされた、という説を述べている[8]

中国文化における竜の存在は、紀元前5千年紀仰韶文化まで遡る。1987年に河南省で数千年前の竜の像が発見された[9]。また、コイル状のヒスイの装飾品は、紀元前4700から紀元前2900年までの頃の紅山文化から出土している[10]

コイル状の蛇や竜の様式は、初期の中国文化において重要な役割を果たした。時代以降のヒスイの竜のお守りと同様に、中国語最古の「竜」の文字はコイル状の形態を有する[11]

ブタ、トラ、鳥のほか、龍を刻んだものも見つかっている。「猪竜(ズーロン)」または「玉猪竜(ユーズーロン)」と呼ばれる紅山文化の玉龍(龍を彫った玉)の造形は単純であり、龍が円形になっているものが多いが、後期になると盤龍・紋龍などの区別がはっきりとしてくる。考古学者の中には、後に中原で始まった龍への崇拝は、紅山文化にその源を発するという見方もある。

玉竜。紅山文化の出土品

衣服の飾りに使用されたヒスイ彫りの竜(戦国時代)

竜の頭部をかたどった取手(前漢時代)
メイ・ロンの化石。本種が眠るときに現生の鳥類と同様の姿勢をとっていたと考えられるため、「眠る竜」を意味する「メイ・ロン」(寐龍)と名付けられた。

(やドラゴン)の伝承の発端としては、クジラや恐竜などの大型動物の骨や化石の出土、ワニやオオトカゲなどの爬虫類の観察、人間の本能的な蛇などへの恐怖などの仮説が挙げられている[12]。古代中国では発掘された恐竜の骨が竜の骨と呼ばれ、記録に残された。例えば、 西暦300年頃の常?華陽国志』は、四川省の地中から出た「竜の骨」について記録に残している[13][14]。内陸部の村人は、伝統薬で使うため、長きにわたって「竜の骨」の化石を発掘しており、今日でも続いている[15]

中国では多様な恐竜が発見されている。恐竜の名前は学名としてラテン語で命名するのが慣例であるが、1990・2000年代以降の恐竜については、中国語のピンイン音をそのまま用いて「○○ロン」と命名する例が現れている。
天候と水の支配者として「竜王」および「ナーガ」も参照

龍と水の関係の起源はインドのナーガに遡り、仏教を介して中国に伝わり龍と習合した。ナーガはコブラを神格化した蛇神だったが、コブラが生息していない中国では、漢訳経典において竜と翻訳された。類似した事例として、古代中国や韓国やベトナム等沿岸部に存在するクジラ(鯨神)を海上の守護者として崇める風習は、仏教の竜王伝承と迎合した可能性がある[16]

竜は地上に雨をもたらす水神とみなされたが、竜が雨を降らせるか否かはしばしば玉皇大帝など地位の高い神の命令に基づいていた[17]。民間信仰においても、竜王は玉皇大帝の支配下にあってその命令に従っており、竜王が天候を自由に制御することはできないと認識されることがあった[18]。玉皇大帝が降雨を禁じたにも拘わらずこれに背いて雨を降らせたために罰せられる竜の伝説が中国の各地に残っている。浙江省の「玉柱峰」の伝承では、大晦日に生贄がなかったのを怒った玉皇大帝が3年の間降雨を止めるように竜たちに命じたが、九龍鼎の玉柱龍が命令に従わずに雨を降らせ、地上に1000年間落とされるという罰を玉皇大帝から受けている[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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