中国の空母建造計画
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世界の全通型の飛行甲板を持つ艦艇(2013年時点)上段左から2番目が「遼寧

中国の空母建造計画 (Chinese aircraft carrier programme) とは中華人民共和国で進められている航空母艦建造の計画である。

2024年現在、「遼寧」と「山東」の2隻の空母が就役、「福建」の1隻が艤装中である。他にも2隻が建造または計画中とされ、これらは原子力空母となる可能性もあるとされる。
歴史
劉華清と中国海軍「中国空母の父」と言われる劉華清(1955年海軍少将任官時)

1982年、ケ小平の指示で、海軍司令官の劉華清は、中国海軍の近代化計画を打ち出した[1]。後に「中国海軍の父」「中国空母の父」と呼ばれる劉は[2]第一列島線第二列島線からなる近海・外洋進出を提唱し、航空母艦の必要性を一貫して主張した。

また、劉は海軍建設(再建)の計画を次のとおり提唱した。

「再建期」 1982-2000年 中国沿岸海域の完全な防備態勢を整備(沿岸防御)。

「躍進前期」 2000-2010年 第一列島線内部の制海権確保(近海防御)。

「躍進後期」 2010-2020年 第二列島線内部の制海権確保(遠海防御)。航空母艦建造。

「完成期」 2020-2040年 アメリカ海軍による太平洋インド洋の独占的支配を阻止。

2040年 アメリカ海軍と対等な海軍建設。

空母建造計画

中国の空母保有計画は大まかに3度立案されている[3]
707工程
1970年7月に最初に立案された空母計画。中日関係改善により、中国を訪問した日本人より艦船資料の提供を受け[注 1]、空母の流体試験モデルを作成。2万4千トンの軽空母を建造する計画であったが、中止となった。計画そのものは失敗したが、中国が空母の構造を知る初歩となった。
891工程
1989年1月に立案された空母計画。1995年に中止。1985年2月に購入・解体研究した「メルボルン」を参考に、5万トンの蒸気カタパルト搭載空母の建造案が計画され、艦載機化したJ-7J-8戦闘機の搭載が想定されていた。また、外国からの輸入も検討しており1990年代にはスペインから「プリンシペ・デ・アストゥリアス」の拡大版SAC200・SAC220という2万トンの軽空母の提案を受けていた。
048工程
ヴァリャーグ」の調査を終え、2004年8月に立案された空母計画。多少修正を施しつつ、現在まで継続されており、2030年に空母5隻を配備、最終目標は2049年に10隻の空母保有することである。計画は空母建造にとどまらず、艦載機開発、陸上訓練基地や空母母港の建設など多岐にわたる。空母建造は三段階に定義された。
第1段階
最初の10年で、「ヴァリャーグ」を再生。さらにそれをベースとした国産空母を建造。J-15を運用。
第2段階
続く10年間で、カタパルト装備の中型空母を2隻建造。
第3段階
2030年代に、超大型空母級の大型原子力空母を建造。第5世代相当の艦載機を配備。陸上施設は主に2つの軍港と3つの航空基地からなり、軍港は青島市三亜市に建設。航空基地は興城市に艦載機パイロット訓練基地が建設され、ほか2つの航空基地が支援に当たっている。
退役空母の購入

中国は1980年代から、空母の技術を研究するため、中古、および建造途中の空母を計4隻購入している。
メルボルン
退役後中国に売却された空母メルボルン1985年、オーストラリアから退役空母を購入し、大連で解体。電子機器と武装は撤去され、舵を溶接固定されていたが、蒸気カタパルトアレスティング・ギアミートボールはそのまま残されており、中国の空母研究に貢献[4]、一説には2002年頃まで船体の一部が残っていたとされる[5]
キエフ
2000年、ロシアから購入。2006年から天津の海浜公園「天津?海新区航母旅游区」で展示、一般公開されている[6]。2012年に空母ホテル「天津航母酒店」として開業。
ミンスク
1997年、ロシアから韓国企業経緯で中国に転売。1999年火災で全焼するも、2000年深?でテーマパーク「ミンスク・ワールド」として開業[7]。2016年にミンスク・ワールドから撤去され、現在は揚子江の江蘇省南通市あたりに係留されている。
ヴァリャーグ
1998年、ウクライナからマカオの民間企業が2,000万ドルで「海上カジノとして使用する予定」として購入。2002年に大連港へ係留された。その後、研究用、練習用空母として改造、2012年に中国初の空母「遼寧」として就役した(後述)。
台湾海峡危機左が第一列島線、右が第二列島線

中国は建国以来、陸軍重視の軍備管理を行っており、海軍の戦力は1990年代に入っても貧弱であり、また旧式化した艦艇が多くを占めた。1996に発生した第三次台湾海峡危機では、中国は第二砲兵部隊のミサイルで、台湾アメリカ合衆国を牽制した。これに対しアメリカ海軍は「インディペンデンス」「ニミッツ」からなる空母戦闘群を派遣、中国はアメリカとの軍事力の差を見せつけられた[1]

この事件を機に、上述した劉が唱えた軍の近代化、空母取得の重要性が改めて見直され、中国は海軍重視へ方向転換を余儀なくされた[1]。また「沿岸防御」から、第一列島線まで制海権を確保する「近海防御」へ戦略を転換し、劉の列島線戦略をベースとして新たな軍事戦略「接近阻止・領域拒否(A2/AD)」が策定された[1][8]
経済成長と海洋進出

2000年代に入り、「改革開放政策」で経済が飛躍的に成長すると、中国はそれまで停滞していた軍の装備の近代化を積極的に行った。特に海軍艦艇の更新は、商級/晋級などの新たな原子力潜水艦の建造、また防空能力を飛躍的に高めた「中華イージス」とも呼ばれる052C型駆逐艦の開発など飛躍的に進歩した[1]

2010年、中国のGDPは日本を越しアメリカに次ぎ世界第2位となった。急激な経済成長により、中国は石油などの資源の確保と、貿易におけるシーレーンの確保が重要な課題となり、南沙諸島の埋め立てを行い、海洋進出を果たした[9]

こうした中で、中国は領土の主権や、海洋権益確保に迫られ、2012年に就役した「遼寧」に続き、今後も国産空母を建造し、制海権および制空権の確保(第一列島線)、そしてシーレーン防衛のための拡大(第二列島線)を目指すと見られる[10][11]


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