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出典検索?: "中国の不思議な役人" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2010年10月)
『中国の不思議な役人』作品19 Sz.73(ドイツ語:Der wunderbare Mandarin、ハンガリー語:A csodalatos mandarin)は、バルトーク・ベーラが作曲した、脚本家レンジェル・メニヘールトの書いた台本に基づく1幕のパントマイムのための舞台音楽である。
ハンガリー出身の舞踏家アウレル・フォン・ミロス(ハンガリー語版)(1906年5月12日 - 1988年9月21日)の振付でバレエとして演奏されて以来、現在でもバレエとして上演されることもあることからバレエ音楽と混同されることもある。ただし作曲者はミロスの提案をOKしたものの、自身では「音楽を伴うパントマイム」だと強くこだわり、総譜にも記載するように念を押している。目次 作曲のきっかけは、1918年3月にバルトークのピアニストとしての先生であるトマーン・イシュトヴァーンから、レンジェルの脚本である「中国の不思議な役人-グロテスクなパントマイム」[注 1] に作曲を薦める手紙が来たことによるものとされている。5月に歌劇『青ひげ公の城』が初演された際、バルトークとレンジェルは出会い、翌月にはバルトークがこの台本に併せた舞台音楽を書くと言うことが決まった。 翌年の5月には完成版の元となったスケッチが完成し、7月にはレンジェルにも試奏してみせる。しかし、この後第一次世界大戦の終結による当時のハンガリー王国内の混乱などで、スケッチより先の作業は遅々として進まなかった。結局まともにオーケストレーションに取りかかることができたのは、彼がほとんど作品を発表しなかった時期の1924年の5月頃から12月にかけてで、正式に完成が雑誌などでアナウンスされたのは1925年の2月頃である。この際には曲自体にも相当手が入っており、完成版とスケッチでは異なる箇所も多い。 後述するようなあまりに生々しい台本の影響もあってか、当初予定していたブダペスト歌劇場での初演は実現せず、初演は1926年11月にドイツのケルンで、同地の国立劇場音楽監督を務めていたバルトークの知人のハンガリー人指揮者、センカール・イェネー(オイゲン・シェンカー 1891年4月9日-1978年3月28日)の指揮で行われることとなった。しかし入念なリハーサルを行いバルトークも臨席した初演は、聴衆からも評論家からも不評だった上に、ローマ・カトリックの勢力の強いこの街では教会関係者などから台本の内容の不謹慎さを批判する声が多く、コンラート・アデナウアー市長[注 2][注 3] の判断でこの1日で上演品目から下ろされ、センカールが市議会から譴責処分を受けるというスキャンダルに発展する。 1927年2月19日に今度はチェコスロヴァキアのプラハで再演された。こちらはひとまず成功したものの、しばらくしてこれも「台本が不謹慎」として月末には上演禁止になってしまう。その直前にもブダペストでの上演計画がまた失敗していた。 ブダペストでの初演が実現しなかったこと、更にケルンでの大騒ぎで舞台版上演の困難さを思い知らされたバルトークは、既に契約先のウニヴェルザール出版社に対し、この曲を演奏会用に使える版を作る提案をして作業を進めていた。1927年2月3日には現在「組曲版」(後述するが、実態は作曲者本人も指摘しているように「抜粋版」である)と呼ばれている作品が完成した。
1 作品史
1.1 作曲の経緯
1.2 上演の困難
1.3 改訂
2 特徴
3 楽譜
3.1 楽譜にまつわる逸話
4 楽器編成
5 演奏時間
6 初演
7 筋書き
7.1 舞台
7.2 登場人物
7.3 あらすじ
8 追記
9 参考文献
10 外部リンク
11 脚注
11.1 注釈
11.2 出典
作品史
作曲の経緯
上演の困難