中古漢語
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中古中国語
中古漢語
漢語 h?nH ???X

話される国中国
話者数?
言語系統シナ・チベット語族

シナ語派

中古中国語


初期形式上古中国語

後漢中国語(英語版)

表記体系漢字
言語コード
ISO 639-3ltc
'"`UNIQ--templatestyles-00000004-QINU`"'Linguist List ⇒ltc
Glottologmidd1344
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中古中国語(ちゅうこちゅうごくご)または中古漢語(ちゅうこかんご)は、4世紀頃から代にかけて[1]中国語である。その音韻体系は中古音(ちゅうこおん)とも呼ばれ、601年に作られその後に改訂・増補された韻書切韻』によって知られる。スウェーデンの言語学者ベルンハルド・カールグレンは、『切韻』はの首都長安で話されていた標準的な口語を記録していると考えていたが、現在の大半の研究者は、『切韻』の序文に基づき、『切韻』は南北朝時代からの北方と南方の読みと詩の伝統の妥協物を記録したものと考えている。この混成された韻書は、前段階である上古中国語(紀元前1千年紀早期)の再構のための重要な情報を提供している。

『切韻』などで漢字の発音を示すために使われた反切という方法は、それ以前の方法からは改善されていたが、実践で使うには不便だった。12世紀半ばの『韻鏡』などの韻図は、『切韻』の音韻の、より洗練された便利な分析を取り入れている。これらの韻図には、『切韻』出版後の数世紀間に起きた音変化の跡が残されている。言語学者は、『切韻』に反映されている体系を前期中古音、韻図により明らかにされた体系を後期中古音と呼ぶことがある。

韻書や韻図は相対的な用語を使って発音を示しているため、実際の発音は明示していない。カールグレンは現代の中国語諸方言や近隣諸国で使われている漢語系語彙の発音のグループを使い、初めて中古中国語を再構しようとした。他にも複数の学者が似た方法を使ってそれぞれの再構体系を発表した。

『切韻』の体系は中国語の方言研究の枠組みとしてよく使われる。上古中国語から独自の変化をしている?語を除いて、現代中国語方言は一般に『切韻』体系から分かれ出たものとして扱われる。また、中古中国語の研究によって、唐詩などの漢詩をより深く理解し分析できるようになった。
資料[ソースを編集]

中古中国語の音韻の再構の大部分は、少数の原典の詳細な記述に基づき行われている。このうち最も重要なのは『切韻』(601年)という韻書とその改訂版である。『切韻』はよく、『韻鏡』、『七音略』などの代の韻図や、後の『切韻指掌図』や『四声等子』での解釈と共に用いられる。さらに現代中国語方言や、他の言語(特に日本語朝鮮語ベトナム語)に借用された中国語の単語の発音、外国の名前の漢字表記、ブラーフミー文字チベット文字などの表音文字での中国の名前の転写、中国古典文学における押韻声調パターンにみられる証拠によって、再構が補完される[2]
韻書[ソースを編集]詳細は「韻書」を参照広韻の最初の韻目(東)

南北朝時代の学者たちにとって、古典の正しい朗唱は大きな関心事だった。様々な学派が、朗唱する際の発音と、規範化された詩の規則を成文化するために辞書を作った[3]。『切韻』(601年)は、それ以前の6つの辞書の差異を統合させる試みであり、『切韻』の成功によってそれ以前の辞書は影が薄くなってしまい現存していない。『切韻』は代には標準的な発音として受け入れられ、その後の数世紀にいくつかの改訂と増補が行われた[4]

したがって『切韻』は現存する最古の韻書であり、前期中古中国語の漢字の発音の重要な資料となっている。20世紀初頭のベルンハルド・カールグレンによる先駆的研究の時点では、『切韻』は断片的にしか知られておらず、学者らは宋代に大きく増訂された版である『広韻』(1008年)に頼っていた。しかしその後、『切韻』そのものの重要な部分が敦煌で発見され、王仁?による706年の版の完全な複製が1947年に発見された[5]

韻書は漢字をその発音に基づき、声調、押韻、同音性の階層によって整理している。互いに押韻可能な漢字は同じグループ(韻目)に入れられ、さらに、全く同音の字のグループ(小韻)に分けられる。小韻の発音は反切と呼ばれる2文字で示されている。2文字のうち1文字目はそのグループの音節の初頭の音(声母)を表し、2文字目は音節の声母以外の部分(韻母)を表す。半切という方法はそれ以前の方法に比べて重要な革新が行われており、これによって全ての漢字の発音を正確に説明することが可能になった。それ以前の辞書では、未知の漢字の発音を示すのに、最もよく似た発音のよく使われる字を示すという単純な方法で行っていた[6]

反切では、それぞれの声母と韻母を表すのに、多様な等価な文字を使っている。声母と韻母が実際に表しているカテゴリーは、広東省の学者陳?による『切韻考』(1842)での詳細な分析によって、初めて明らかにされた。陳の方法では、ある二つの字の一方が他方の発音を表すのに使われているとき、その二つを等価とみなし、こうした連鎖を繋いでそれぞれの声母と韻母のグループを特定する[7]。たとえば、「東」の発音は反切で「コ紅」と表示され、「コ」の発音は「多特」と表示され、「多」の発音は「コ河」と表示されている。この場合、 「東」と「コ」と「多」の初頭音(声母)は同じ音と結論付けられる[8]

『切韻』では193個の韻目にグループ分けされていて、それぞれが4つの声調の中に配置されている[9]。一つの韻目につき複数種類の韻母が含まれている場合があり、この場合一般的には介音(特にそれが/w/のとき)あるいはいわゆる「重紐」と呼ばれる対においてのみ異なる[10][11]
韻図[ソースを編集]詳細は「韻図」を参照『韻鏡』の最初の部分。『広韻』の韻目の「東」(平声)、「董」(上声)、「送」(去声)、「屋」(入声)を含んでいる。

韻鏡』(1150年頃)は、いわゆる韻図の中で最も古いものであり、『切韻』に含まれる体系のより詳細な音韻学的分析を提供している。『韻鏡』は『切韻』よりも数世紀後に作られた物で、『韻鏡』の著者らは、当時の後期中古音とは大きく異なる『切韻』の音韻体系の解釈を試みた。『韻鏡』の著者らはこの差異を認識していて、音韻体系の中の規則性や反切によって示された声母と韻母の共起関係を綿密に分析し、できる限り『切韻』の音韻体系を再構しようとした。しかし、彼らの分析は必然的に後期中古音からの影響を受けており、その体系の難解な面を解釈する際にこの影響を考慮に入れる必要がある[12]

『韻鏡』は43枚の図で構成され、それぞれに『切韻』の複数の韻目が配置されている。そして下記のようにグループ分けされる:[13]

は、大まかな韻のグループで、16個ある。それぞれが「内転」または「外転」と表示されている。内転と外転の意味は議論の最中で定まっていないが、主母音高さ(広さ)を示しているとする説があり、外転の韻母は広母音(/?/ または /a/、/a/)を持ち、内転の韻母は中央母音または狭母音を持っていたという。


開口と合口は、円唇化の有無を示している。合口の韻母は円唇母音(たとえば/u/)あるいは円唇わたり音介音)を持っていた。

それぞれの図には23列があり、それぞれ頭子音を表している。『韻鏡』は36の頭子音を区別しているが、硬口蓋音そり舌音歯音歯茎音)をまとめて同じ列に入れることで23列となっている。ただし頭子音が硬口蓋音かそり舌音か歯茎音かだけで区別されうるミニマル・ペアが同じ列に配置されることがないよう調整されているため、別の音同士のグループが合流している例はない[14]

それぞれの頭子音はさらに下記のように分類される:[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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