中之島
町丁
中之島全景(2015年4月)
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分30.29秒 東経135度29分27.99秒 / 北緯34.6917472度 東経135.4911083度 / 34.6917472; 135.4911083
国 日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
区北区
面積[1]
? 合計72.6 ha
人口(2019年(平成31年)3月31日現在)[2]
? 合計2,444人
? 密度3,400人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号530-0005[3]
市外局番06(大阪MA)[4]
ナンバープレートなにわ
中之島の位置
中之島(なかのしま)は、大阪府大阪市北区にある堂島川と土佐堀川に挟まれた中洲および町名。東西に細長く、長さは3km、幅は最大で300m、面積72.6ha。
現行行政地名は中之島一丁目から中之島六丁目。 北側の堂島、南側(中央区)の北船場とともに、中之島は伝統的な大阪のビジネス街・中心業務地区 (CBD) であり、大阪市役所や日本銀行大阪支店などの重要な公的機関も所在する。東西に細長いため、単に中之島と言っても場所を特定しにくいこともあり、堂島川および土佐堀川に架かる橋名、橋名由来の駅名、旧町名などもよく用いられる。 土佐堀川に架かるアーチ型の淀屋橋(橋梁)をはじめ、日本銀行、大阪府立中之島図書館、大阪市中央公会堂の建物など、戦前からの歴史的建造物が立ち並び、景観についても条例などによって規制され維持されている。「大阪の迎賓館」とも呼ばれるリーガロイヤルホテル本店や、関西経済連合会も中之島の西側に位置している。官公署が多い東部に比べて西部の開発が遅れていたが、近年大阪大学と大阪大学医学部附属病院の跡地を開発して誕生したほたるまちをはじめ、大阪府立国際会議場や大阪市立科学館、大阪府立中之島図書館、国立国際美術館、こども本の森 中之島、大阪中之島美術館(2022年開館)などが立地する大阪の文化・芸術拠点となりつつある。2008年に、京阪中之島線が開通したことでアクセスも多少改善され、周辺の再開発も活発になっている。 中之島の東側に位置する中之島公園は、都心部の貴重な公園となっており、バラ園が有名。またイベントも数多く行われており、中之島まつりやOSAKA光のルネサンスは毎年開催される。 旧ダイビルを解体した跡地に出来たダイビル本館、中之島ダイビルをはじめ、新朝日ビルディングとフェスティバルホールを建替えた中之島フェスティバルタワー(朝日新聞大阪本社ビル)は竣工済み、大阪朝日ビルと朝日新聞ビルも解体され、中之島フェスティバルタワー・ウエスト(ヒルトン系列のコンラッド大阪)へ建て替えられた。このほか、住友不動産による住友中之島ビルの超高層ビルへの建て替え、京阪電鉄と大林組による外資系ホテルを誘致しての複合高層ビル(中之島四丁目再開発)も計画されている。 現在、玉江橋(なにわ筋)より堂島大橋(あみだ池筋)間の堂島川左岸約400メートルの堤防上等に、水上カフェをはじめとする飲食・物販店が集まった「中之島バンクス」を整備中である。 中之島の開発は大坂の陣後、大坂屈指の豪商である淀屋(淀屋常安)によって1615年(元和元年)に始まった。 淀川(現:旧淀川)本流の中洲であることに加えて、大阪湾から遡上する二大航路の安治川と木津川の分岐点でもある中之島には諸藩の蔵屋敷が集中し、全国各地の物資が集まる「天下の台所」大坂の中枢を担った。米市は淀屋橋の南詰の路上で行われていたが、1697年(元禄10年)に堂島川を挟んだ堂島へ移り、1730年に米の中央市場である堂島米市場が設置された。この堂島米市場は世界初の先物取引市場と言われている。 明治になると、諸藩の蔵屋敷は払い下げられ、大坂の商業やビジネスの中心としての役割だけでなく、国の重要文化財の大阪府立中之島図書館や大阪市中央公会堂(中之島公会堂)等の文化施設や大阪帝国大学(現:大阪大学)をはじめとする学校や病院が市民の寄付などで建設され、近代商都大阪においては情報と文化の発信地でもあった。 ただし、明治時代の払下げから大正時代初期に現在の大阪市役所、中之島図書館、中央公会堂、また過去には豊國神社や裁判所(現在の大阪高等裁判所の前身)、旧陸軍関係施設があった時代もある。中之島一丁目周辺は地籍図が混乱しており、土地の所有関係が不明瞭であることが問題でもある[5]。 近世の町名は、中之島上之鼻・上中之島町・肥後島町・築島町・久保島町・白子島町・西信町(さいしんまち)・常安町(じょうあんちょう)・塩屋六左衛門町・湊橋町・宗是町(そうぜちょう)・本五分一町(もとごぶいちちょう)・常安裏町(じょうあんうらまち)・治郎兵衛町・小倉屋仁兵衛町(こくらやにへいちょう)・庄村新四郎町となっていた。
概要
歴史1930年代の中之島
町名の変遷