中世ラテン語
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出典検索?: "中世ラテン語" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2016年7月)

中世ラテン語(ちゅうせいラテンご、: medieval latin)は、中世カトリック教会文語として用いられたラテン語である。

現代におけるラテン語と同様、あくまでも第2言語として使用されたものである。各使用者は必ず別の言語を母語としてもっており、そうした諸言語(俗ラテン語から発達したロマンス諸語や、ドイツ語などのゲルマン諸語)の特徴が、音韻・文法両面で、中世ラテン語に大きく影響している。

表記はイタリア式の「教会ラテン語」(Lingua Latina Ecclesiastica)の発音が反映されたものに置き換わっているが、部分的に伝統的な表記も維持される場合もあり、あるいは逆に伝統的な綴りに回帰しようと過剰修正(hypercorrection)される場合もあり、かなりの揺れがある。
影響
キリスト教のラテン語

中世ラテン語は他から自由に借用をし語彙を拡大した。ウルガタの言語から重大な影響を受けており、これはギリシア語ヘブライ語の大なり小なり直接的な翻訳に由来する古典ラテン語とは異質な多くの特異性を、語彙だけでなく文法および構文論においても含んでいた。ギリシア語はキリスト教の専門的な語彙の多くを提供した。南ヨーロッパに侵入したゲルマン民族が話していたさまざまなゲルマン語もまた、新語の大きな源泉であった。ゲルマン人の指導者たちは彼らが征服したローマ帝国の一部の支配者となり、彼らの言語由来の単語を自由に法律用語にとりいれた。古典語の単語は使われなくなったため、その他多くの通常の単語が俗ラテン語またはゲルマン語起源の造語に置きかえられた。時祷書の装飾写本 (Milan, Biblioteca Trivulziana, Cod. 470) は中世ラテン語の祈りを含んでいる。

ラテン語は、ロマンス諸語が話されておらずローマの支配に服したこともないアイルランドドイツのような地域へも広まった。ラテン語が現地の土着語と無関係に学ばれたこれらの地域で書かれた著作も、中世ラテン語の語彙および構文に影響を与えた。

科学や哲学のような主題はラテン語で意見交換されたため、それらによって発展したラテン語の語彙は現代の言語における専門用語の非常な大部分の源泉になっている。abstract, subject, communicate, matter, probable といった英単語や、他のヨーロッパの言語におけるこれらの同根語は、概して中世ラテン語においてこれらに与えられた意味を有している[1]
俗ラテン語

古典ラテン語は大いに尊重されつづけ、文章構成の模範として学ばれたが、俗ラテン語の影響もまた、何人かの中世ラテン語作家たちの構文論において明白である。文章語としての中世ラテン語発展が高みに達したのは、フランクシャルルマーニュの後援で促進された教育の再生であるカロリング・ルネサンスのときであった。アルクインがシャルルマーニュのラテン語秘書を務め、彼自身重要な作家である。西ローマ帝国の権威が最終的に崩壊したあとの後退期以後にラテン語の文学と学習が復興をみたのは彼の影響によってであった。

同時期にロマンス語への発展も起こっていたが、ラテン語そのものは非常に保守的でありつづけた。もはや母語ではなくなって、古代および中世の多くの文法書がひとつの標準形を与えていた。他方で、厳密に言うならば「中世ラテン語」なる単一の形は存在しない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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