中世の寝殿造
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070:鎌倉時代・正応元年(1288)の近衛殿
六波羅泉殿同様に母屋が南北に区切られている。『勘仲記』の指図より作成[1]080:室町時代・永享4年(1432)足利義教の室町殿
殿舎の配置が近衛殿(上の画像070)と非常によく似ていることで有名。しかし寝殿については大きく異なる。南半分は母屋・庇の平面を維持しているが、北半分は既に母屋・庇ではない。かつ殿上と公卿座に半間[注 1]を使っており、柱間寸法は7尺から7.5尺である[2]。図は7.5尺として縮小。
桁行七間、梁間六間というと大寝殿に見えるが、その実正応元年(1288)の近衛殿(上の画像070)、あるいは藤原定家の京極殿(画像060)の寝殿とほとんど変わらない。
なお柱間寸法が7尺から7.5尺程度なら南庇の梁間は他の2倍弱の12尺はあったかもしれない。そうでなければ大饗の二行対座は出来ない。
(国立国会図書館蔵「室町殿御亭大饗指図」(永享4年7月25日)[3][4]、および川上貢復元図[5]などより作成)

中世の寝殿造(ちゅうせいのしんでんづくり)では、末期の寝殿造を中心に中世の上層住宅について述べる。中世は平安時代の寝殿造から近世の書院造への過渡期にあたり[6]、寝殿造の末期であると同時に書院造の成立前史でもある[7]寝殿造は11世紀前には完成し摂関政期・院政初期に栄えたが、平安時代末期には正式な形式は崩れ実用本位のものとなっていった[6]
概要

平安時代には「寝殿造」という貴族住宅の様式が想定され、近世には武家屋敷を中心とした「書院造」という様式がある。しかし中世はその過渡期と位置づけられて、特別な様式名称が定義されている訳ではない[8]。かつては「武家造」という様式が想定されたこともあったが、現在では鎌倉の将軍御所も『法然上人絵伝』[9]のまるで農家のような押領使漆時国の館(画像530)まで、全て寝殿造の範疇に入れられている[8][10]

寝殿造は平安時代に留まるものではなく、鎌倉時代から室町時代応仁の乱に至るまで続いている[11]。室町時代でも将軍邸・室町殿(画像080)のように最上級の屋敷の主屋は「寝殿」と呼ばれ、その中で伝統的な貴族儀式が営まれていた[12][13]。しかしその実態は平安時代後期の寝殿造から大きく変化している[14]

ひとつには建具の進化である。大きな空間をカーテンのような布(帳)で仕切っていたものが、現在の襖や障子に近いものが多く用いられるようになり、それによる細かい、固定的な間仕切りが進んでくる。その変化は平安時代の平清盛の六波羅泉殿の指図(画像430)などにも現れてはいるが[15]、はっきりと形を現してくるのは鎌倉時代の中頃である。

もうひとつには建築工法の進化がある。主要な建物でも太田博太郎が「日本建築の文法」[16]とまで云った母屋と庇の構造側柱と入側柱によって全体を支えるという古代以来の建築構造から徐々に開放されていく。寝殿造の一部に始まったその変化は徐々に寝殿造全体を覆うようになり、室町時代に書院造へと近づいていく。

従って中世の寝殿造は、平安時代の寝殿造が近世の書院造へと接近していく過程にあたり、寝殿造の末期であると同時に近世書院造の前史でもある[17]
変化の始まり・小寝殿
高陽院の小寝殿

大規模寝殿造の変化の始まりは高陽院の小寝殿で、『栄花物語』には、長久4年(1043)12月1日の記事[18]に東対が無いこと、天喜元年(1053)8月20日の記事[19]に小寝殿があることが記されている。記録に残る最初の小寝殿である。この小寝殿を太田静六はこう説明する。小寝殿とは中央の寝殿に準じる寝殿という意味で、対が南北棟であるのに対し、小寝殿は寝殿と同じく南正面で東西棟が普通だが、時には対と同じく南北棟の場合もある。今回のように小寝殿としたのは頼通の創意によるかと思われるがこれは同時に平安盛期も末になると、正規寝殿造中にもぽつぽつ変形が現れてきたことを示す。[20]

変形の無い正規寝殿造の時代があったということは証明されていないが[7]、小寝殿が寝殿造の変化の象徴であることでは研究者の意見は一致している[21][22][23]。小寝殿は別御所の形式をとる鎌倉時代の小御所との関連性も指摘され[24]、古代の小寝殿から中世の小御所へと至る過程が想定されている[21][23]

高陽院のような小寝殿が何故現れたのか、あるいは用いられたのかについては、独立した家政機構[注 2]を持ち、本来屋敷も独立するのが普通である二人が同じ屋敷内に住む場合に備えてだと考えられている[21]


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