中ノ鳥島
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「中鳥島」はこの項目へ転送されています。徳島県にある中洲については「中鳥島 (徳島県)」をご覧ください。

中ノ鳥島(ガンジス島)1898年にイタリアで刊行された本「La Terra, trattato popolare di geografia universale」に付属の地図の拡大図
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}中ノ鳥島中ノ鳥島があったとされる位置
地理
場所太平洋
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯30度05分0秒 東経154度2分0秒 / 北緯30.08333度 東経154.03333度 / 30.08333; 154.03333
諸島小笠原諸島
面積2.13 km2 (0.82 sq mi)
海岸線6.67 km (4.145 mi)
行政
日本
都道府県東京府
支庁小笠原島庁⇒小笠原支庁
追加情報
1908年から1943年まで日本領土として認定されていたが、実際には存在しない幻の島。領土認定されていた際の島のデータを記載。
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中ノ鳥島(なかのとりしま、: Ganges Island)は、北緯30度05分 東経154度02分 / 北緯30.083度 東経154.033度 / 30.083; 154.033座標: 北緯30度05分 東経154度02分 / 北緯30.083度 東経154.033度 / 30.083; 154.033に存在したとされていた疑存島である。別名「ガンジス島」。また、近傍には「ガンジス礁」もあったとされる。

自然科学の観点から見れば実在したとは考えられないが、日本領土として正式に認定されていた時期がある点で、世界各地の「伝承における幻の島」「伝説の島」とは一線を画する。

海図等では「中ノ鳥島」の表記が用いられたが、日本政府の発する命令政令省令等)では「中鳥島」の表記が多く用いられた(日本国憲法下での官報掲載例は前者2件、後者27件)。
概歴
アメリカ人による「発見」

「ガンジス」の名称は、おそらくこの島を発見したとされる捕鯨船ガンジス号(英語版)に由来する。この船は1815年から1851年の間に太平洋を航海し、いくつもの島を発見している。ガンジス島の「発見」は次の3つの航海のどれかと思われる。1815年8月から1817年10月(アイザイア・レイ船長)、1818年6月から1821年6月(アイザイア・レイ船長)、または1821年8月から1824年3月(ジョシュア・コフィン船長)。[1]

ナサニエル・ボーディッチ(英語版)が書いた現代航海術のテキスト「ボーディッチ航海術書(英語版)」の1832年版には北緯30度45分 東経154度25分 / 北緯30.750度 東経154.417度 / 30.750; 154.417と記されている。アメリカの探検家ジェレミア・レイノルズ(英語版)も1841年に同じ位置を示しており、さらに、北緯31度 東経155度 / 北緯31度 東経155度 / 31; 155にあるとされた島も同じものであると信じていた[2]。イギリスの地理学者アレクサンダー・ジョージ・フィンドレイ(英語版)は著書の中で、座標北緯31度30分 東経154度0分 / 北緯31.500度 東経154.000度 / 31.500; 154.000と北緯30度47分 東経154度20分 / 北緯30.783度 東経154.333度 / 30.783; 154.333、さらにガンジス礁として北緯30度47分 東経154度20分 / 北緯30.783度 東経154.333度 / 30.783; 154.333をあげつつも「疑わしい」と記している。[3]

「ボーディッチ航海術書」の記述は1880年版まで掲載されたが、1888年版で削除された。1875年にアメリカ海軍が大規模な改定を行い、ガンジス島はその他の島と共に削除された。
日本人による「再発見」山田禎三郎が報告した「ガンジス島」の地図

1907年明治40年)8月、東京市小石川区諏訪町(現在の東京都文京区後楽)の山田禎三郎が、東京府小笠原島から560の位置に島嶼を発見、上陸して探検測量まで試みたとされる。

これより以前に、日本の南東海上に未確定ながら「ガンジス島」なる島があるとの情報があり[4]、当時の海軍省水路部が記した『日本水路誌』にも「小笠原島人ハ曾テ數回之カ探檢ニ從事シタルモ遂ニ之ヲ認メタルコトナシト云ヘリ海圖上ニハP.D符[注釈 1]ヲ置クト雖其實有無未定ナルカ如シ航者宜ク警戒スヘシ」との注記付ではあるが、北緯30度47分 東経154度15分 / 北緯30.783度 東経154.250度 / 30.783; 154.250 (ガンヂス島)にガンヂス島、北緯30度47分 東経154度16分 / 北緯30.783度 東経154.267度 / 30.783; 154.267 (ガンヂス礁)に礁があるとされていた[5]。山田は発見した島を「ガンジス島」に比定し、1908年(明治41年)4月28日に「小笠原島所属島嶼発見届」と島の地図を添えて小笠原島庁へ発見の報告を行った[4]。この報告を基に、東京府知事阿部浩から内務大臣原敬に宛てて提出された「新島嶼ノ行政区割ニ関シ上申」に付属する「小笠原島所属島嶼発見届」によると、島は外周125(約6.67 km)、面積64万3700(約2.13 km2)、サンゴ礁と思われる植生もあった。また、島にはグアノが積もってできるリン鉱石で覆われており、これは当時、火薬原料や肥料として重要視されるものであった。なお、山田の発見届には、島の位置(北緯30度05分 東経154度02分 / 北緯30.083度 東経154.033度 / 30.083; 154.033であるとする)と島から小笠原諸島までの距離が一致しない、アホウドリの飛来しない時期であったのにアホウドリが数百万羽いたとするなどおかしな点が多々ある[6]

山田はこの島を開発するため日本による領有を訴え、1908年(明治41年)7月22日の閣議決定により「中ノ鳥島」と名付けられ、日本領に編入された[7]。山田が発見した島は海図の「ガンジスアイランド」に相当すると届けられたが、『日本水路誌』のガンジス島の位置とは異なるため「其ノ位置ニハ多少ノ差異アルニ依リ他日確定スルノ必要アルヘキ」と後日確定する必要があるとしながらも「帝国ノ版図ニ属スヘキハ論ナキ」として日本領に属するのは当然とされた[7]

しかし、中ノ鳥島はそれ以来再び発見することができず[8]、特に大正時代には周辺海域を大規模に探索したが、全く発見できなかった。1913年大正2年)、「吉岡丸」なる船が中ノ鳥島開拓に向かったが、島を発見できずに終わっている[9]1927年昭和2年)9月には通報艦満州」による調査が行われたが、島は発見されていない[10]。こうして暗黙のうちに実在しないということでガンジス礁とともに1943年(昭和18年)の海軍水路告示により日本海軍の機密水路図誌から削除された。

第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)1月29日、連合国軍総司令部から「日本」の範囲についての訓令(SCAPIN第677号)[11]が出されたが、第3項に「中ノ鳥島」が含まれており、アメリカ側では未確定のままとしていた(SCAPIN第677号の目的に於ける日本の範囲を意味するもので、日本領の範囲を示すものではない)。

日本の範囲から除かれる地域として
(a)欝陵島竹島済州島。(b)北緯30度以南の琉球(南西)列島口之島を含む)、伊豆南方、小笠原、硫黄群島、及び大東群島沖ノ鳥島南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外廓太平洋全諸島。


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