丙午
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干支
1
甲子2
乙丑3
丙寅4
丁卯5
戊辰6
己巳7
庚午8
辛未9
壬申10
癸酉
11
甲戌12
乙亥13
丙子14
丁丑15
戊寅16
己卯17
庚辰18
辛巳19
壬午20
癸未
21
甲申22
乙酉23
丙戌24
丁亥25
戊子26
己丑27
庚寅28
辛卯29
壬辰30
癸巳
31
甲午32
乙未33
丙申34
丁酉35
戊戌36
己亥37
庚子38
辛丑39
壬寅40
癸卯
41
甲辰42
乙巳43
丙午44
丁未45
戊申46
己酉47
庚戌48
辛亥49
壬子50
癸丑
51
甲寅52
乙卯53
丙辰54
丁巳55
戊午56
己未57
庚申58
辛酉59
壬戌60
癸亥
十干十二支
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2009年12月)

丙午(ひのえうま、へいご)は、干支の1つ。

干支の組み合わせの43番目で、前は乙巳、次は丁未である。陰陽五行では、十干は陽の十二支は陽ので、比和である。
丙午の年

丙午は干・支ともに火性である。

西暦年を60で割って46が余る年が丙午のとなる。

丙午の年1千年紀2千年紀3千年紀


46年

106年

166年

226年

286年

346年

406年

466年

526年

586年

646年

706年

766年

826年

886年

946年


1006年

1066年

1126年

1186年

1246年

1306年

1366年

1426年

1486年

1546年

1606年

1666年

1726年

1786年

1846年

1906年

1966年


2026年

2086年

2146年

2206年

2266年

2326年

2386年

2446年

2506年

2566年

2626年

2686年

2746年

2806年

2866年

2926年

2986年


丙午生まれの迷信


由来

「丙午(ひのえうま)年の生まれの女性は気性が激しく、夫の命を縮める」という迷信がある。これは、江戸時代の初期の「丙午の年には火災が多い」という迷信が、八百屋お七が丙午の生まれだとされたことから、女性の結婚に関する迷信に変化して広まって行ったとされる[1][2]

江戸時代には人の年齢はすべて数え年であり[3]、もしも八百屋お七が寛文6年(1666年)の丙午生まれならば、放火し火あぶりにされた天和3年(1683年)には18歳になる計算となるが、井原西鶴などの各種の伝記では16歳となっている[4][5]。しかし、浄瑠璃作家紀海音が浄瑠璃「八百やお七」でお七を丙午生まれとし、それに影響された為長太郎兵衛らの『潤色江戸紫』がそれを引き継ぎ、また馬場文耕はその著作『近世江都著聞集』で谷中感応寺にお七が延宝4年(1676年)に掛けた額が11歳としたことが、生年を寛文6年(1666年)とする根拠となった。

紀海音は演劇界に強い影響力を持ち、文耕の近世江都著聞集も現代では否定されているものの長く実説(実話)とされてきた物語で有り、お七の丙午説はこのあたりから生じていると考えられている[6]
1906年

明治時代以降もこの迷信は続き、1906年(明治39年)の丙午では、前年より出生数が約4%減少した。当時の新聞には元日に産まれた女児の将来を案じる記事がある[7]ほか、生まれた男児の出生届を前後の年にずらして届け出ることもあったという[8]

この1906年生まれの女性が結婚適齢期となる1920年代前半、特に1924年(大正13年)から1926年(大正15年/昭和元年)には、縁談の破談や婚期が遅れる悲観、家族の心無い言葉などが理由である女性の自殺の報道などが相次ぎ[7]、迷信を否定する談話や映画『丙午の女』(石巻良夫:監督、サクラプロダクション)[7]が製作されるなど、丙午生まれの迷信が女性の結婚に影響したことが伺われる[9]夏目漱石1907年に発表した小説『虞美人草』において、主人公の男を惑わす悪女、藤尾を「藤尾は丙午である」[10]と表現している。

この年に生まれた小説家坂口安吾は、本名は丙午を意味する炳五という名を付けられ、親類から「男に生まれて良かった」と言われたという話を文章に残している。坂口は、1954年随筆でこの迷信はなかなか無くならないだろうと予言し[11]、実際1966年もその通りになった。


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