世間
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仏教用語
世間
サンスクリット語???
(IAST: loka)
中国語世間
日本語世間
英語plane of existence
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世間(せけん)とは、インド発祥の宗教における用語であり、出世間(しゅっせけん)とあわせてこの世を二分して見る言葉である。移り変り、破壊を免れない迷いの世界という意味である。

さらに、日本ではこの用語は一般名化して、「この世」「世の中」「社会」のことを表す用語として使われている。転じて歴史学者阿部謹也は、日本社会が英単語「society」の訳語としての「社会」に当てはまらない性質があるとして、旧来の「世間」の呼称を採用し、西欧的「社会」との比較研究としての「世間論」を展開した。また、「世間」と書いて「よのなか」と読むこともある。
語源

世間の原語であるサンスクリット語のローカ「loka」は、「砕く」という意味の動詞「luj」から派生して「滅すべきもの」の意味である。

このローカに界[1]を加えて、ローカ・ダートゥ[2]といい、世間界の意味である。ダートゥは一般に構成要素の意味であるが、ここでは範囲とか領域と解釈すべきである。このローカ・ダートゥは、「世界」といわれ、サンスクリット語では「クシェートラ」[3]ともいわれる。この場合は、所有するという意味のクシ (kSi) から派生してクシェートラとなるから、所有地・領地の意味の国土である。
意味内容

世間(ローカ)からラウキカ[4]、すなわち「世俗」の語がつくられた。ローカ自身には別に悪い意味はないが、迷いの世界として世間を意味する場合が多い。この場合、世間の「世」とは「遷流(せんる)」の意味で移り変わること、「破壊」の意味で壊れること、「覆真(ふしん)」の意味で真実を覆っていることなどと解釈される。また「間」は「間隔」の意味で、ものが個々別々に差別化されてみられることと解釈される。

このように世間とは、本来一味平等であるものに区別を作って、それにこだわって生活しているから、真実がおおわれ、無常であり、破滅すべきものと説かれる。このように一般に世間といわれている使い方とは違って、仏教では、深い人間的反省が込められている。
世間と出世間「法 (仏教)」も参照

移ろいゆく世界(世間)の法則に流れしたがうことを世間法(せけんぼう、(略して世法 - せほう, loka dhamm?)という。これに対して、仏は世間から出でた存在であることから、仏の教え(すなわち仏法, ダルマ)を、出世間法、あるいは如来法(にょらいぼう)などという。
八つの世間法

世間は、八つの世間法が支配する世界であると説かれている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}

A??hime bhikkhave, loka dhamm? loka? anuparivattanti, loko ca a??halokadhamme anuparivattati. Katame a??ha:
L?bho ca al?bho ca ayaso ca yaso ca nind? ca pasa?s? ca sukha? ca dukkha? ca

比丘たちよ、八つの世間法は世間に従い、世間は八つの世間法に従う。
その八つは何か?
利得、不利得、名誉、不名誉、非難、賞賛、
である。—パーリ仏典, 増支部 8.1.1.5,Pa?hamalokadhamma sutta?, Sri Lanka Tripitaka Project

これは八つの出世間法、すなわち八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)と対比される。
出世間詳細は「出世間」を参照

このような壊れてゆく世界に対して、仏や菩薩のような世界は、出世間[5]といわれ、世間をこえた境界といわれる。この意味で、仏教でいう世間は、単に物質的なものではなく、精神的な境界の意味が、その根本的な立場である。

なお、大乗仏教が後世にさらに発展すると、この娑婆における苦の多い現実世界の中で仏法を活かすということから、世法を完全否定せず、世間の法則を肯定的に捉えるようになった。またこれは、世間法即如来法(世法即仏法)と対立する2つの概念を不二法門として説かれるようになった。
三世間

三種世間ともいい、移ろいゆくこの世の現象世界、つまり世間を3種類に分類したもの。これらの境界が、いわゆる物質的なものを含めて、環境一般をも意味するようになると、以下の三世間が説かれる。

大智度論では、以下の名称で説かれている。
仮名世間(けみょう)とは、衆生世間ともいい、生命のあるもの

国土世間(こくど)とは、山河大地など

五蘊世間(ごうん)とは、人間を構成し、世界を構成している構成要素をいう。これらも五蘊(ごうん)が色受想行識であることから考えると、単なる物質的要素でなく、精神的なものを主としている。

華厳経疏では、以下の3種類を立てるが、3つめは大智度論とは異なる。
衆生世間(しゅじょう)、智度論の仮名世間と同じ

器世間(うつわ)、智度論の国土世間と同じ

智正覚世間(ちしょうかく)、仏の世界

なお、サーンキヤ学派では、以下の3種類を立てる。
天上

人間

獣道

三界

この迷いの世界や悟りの世界について、インド古来の須弥山世界説がもちこまれて解釈がなされるようになると、元来、精神的存在であったものが、物質的存在と解釈されるようになり、欲界色界無色界三界を立て、また、地獄などの六道をたてることになる。

さらに、この三界を迷の世界であるとして、

欲界  四悪趣、四洲、六欲天など最下位の地獄から天界の他化自在天まで

色界  天界の初禅天(大梵天など)から四禅天(五浄居天や無想天など)まで

無色界 天界の四禅定(空無辺処から有頂天)まで

ところで、仏教もこの世界を物質的世界として説くが、本意は精神的なものが中心である。よって三界説も、欲界から色界へ、色界から無色界へと、人びとの精神生活の純化の段階を示したものと受け取られる。

欲界は淫欲、食欲の二欲を中心として生活する者の住むところで、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道があり、この天界を六欲天という。

色界は二欲をはなれたものの世界で、衆生の肉体が殊妙であるから色界といい、物質的な世界だが、実は精神的なものが中心となるから、四禅天がそれである。

無色界とは物質的なものを超えた世界で、それをいとい離れて四無色定を修めた者の世界で、高い精神的立場をあたえ、無色界の最高のところを有頂天という。世間において「有頂天になる」といって、得意の絶頂にあることをあらわすのは、この意味で、迷いの世界での最高処にあることからいわれたものである。

これら詳細については、三界の項を参照。

なお、大乗仏教では、この三界を離れ、さらにその上に声聞縁覚菩薩、そして仏国土や浄土があると位置付ける。また天台宗などでは、迷悟両界をあわせて十界があるとする。
文学における世間

世間・世の中を意味する言葉として『万葉集』では「うつせみ(現身)」「よのなか(世間)」の用例が見られ、「世間」の用例は45首(作者・年代が確定可能なものは35首)が見られる[6]



脚注^ サンスクリット: dhaatu
^ サンスクリット: loka-dhaatu
^ サンスクリット: kSetra
^ サンスクリット: laukika
^ サンスクリット: loka-uttara
^ 阿部(1995)、pp.32-33


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