世話人
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この項目では、日本相撲協会の役職について説明しています。見合いの仲介人については「見合い#世話人」をご覧ください。

世話人(せわにん)とは、大相撲において、相撲競技用具の運搬、保管等の管理にあたるとともに、その他上司の指示に従い服務する者をいう[1]力士行司などと同様に各相撲部屋に所属する。日本相撲協会の正規協会員ではなく嘱託職員という扱い。
概要

若者頭助手を務める。世話人としては現役時の最高位の場所で名乗った四股名を名乗ることが通例とされる。明治後期より正式な職名としてあり巡業番付に掲載されていたが、本場所の番付には1949年5月場所より掲載され、1959年11月場所限りで削除後、1994年7月場所より再び掲載されている。

世話人の新規採用は、引退した十両幕下力士で適格と認められる者から行うこととされているが[2]、過去には年寄名跡が不足していた事情もあったことから幕内経験者からも採用を行っていた。2022年1月時点では幕内経験のある現役の世話人はいない。厳格な採用基準はないが、理事会において当該力士の師匠の推薦が必要とされ、長く現役を続け付け人や部屋雑務等裏方仕事の実務能力が優れる力士が採用される傾向にある。また、部屋の有力力士の引退後のサポート役、有力部屋付き親方の部屋継承・分家独立後のマネージメント役として、部屋の師匠が就任を打診する場合もある。

定員は当初12人[注釈 1]であったが、1975年7月より8人とされ、2004年1月以降は13人[注釈 2]。停年(定年。以下同)は1961年1月の停年制度施行時は55歳、その後1975年7月に60歳、1982年7月に63歳と引き上げられ、1990年1月以降65歳と定められている[3]が、年寄と違い定年後の再雇用の規定はない。相撲協会の嘱託職員という都合上、1996年10月までは年寄名跡を襲名し親方になる場合以外は、若者頭、世話人に転向し協会に残る場合も「引退」ではなく「廃業」と表現されていたが、同年11月以降は全て「引退」に統一された。

欠員が出れば随時補充されてきたが、2017年9月に友鵬が、2019年11月に羽黒海が死去。2020年4月に虎伏山が若者頭に転向。同年11月に白法山、2021年8月に斎須が停年(定年)退職したが、この間欠員補充をしていなかったため、長らく欠員5枠が続いた状態だったが、2024年3月場所終了後に海龍勇輝隠岐の富士が現役を引退し、錦風以来9年ぶりに新規就任[4]。同年5月に福龍岳が停年退職したため、現在は欠員3名になっている。

番付上に書かれる位置は、現行の番付では東の最下段の親方衆より左側の欄である。過去には西の最下段の親方衆より左側の欄や、中軸の行司の下に書かれたこともあった。
任務

相撲競技用具の運搬、保管等の管理

本場所での役員室の雑用

木戸の係

電光掲示板の操作

車の交通整理

世話人一覧
現職の世話人

2024年5月8日現在(欠員3人)

名前最高位就任所属部屋(世話人就任後)
栃玄王泰幸
幕下261995年4月春日野部屋
大日岳栄隆十両72004年1月玉ノ井部屋
陸奥北海勝昭十両6安治川部屋/伊勢ヶ濱部屋
荒ノ浪二朗幕下3武蔵川部屋/藤島部屋雷部屋
嵐望将輔幕下132013年5月貴乃花部屋千賀ノ浦部屋/常盤山部屋
幕下時代の四股名は福の隆
栃の山博士幕下2千賀ノ浦部屋/常盤山部屋
錦風真悟幕下12015年2月尾車部屋押尾川部屋
隠岐の富士和也幕下112024年3月八角部屋
勇輝瞬臣幕下20陸奥部屋音羽山部屋
海龍元紀幕下2出羽海部屋

過去の主な世話人

名前最高位在職期間所属部屋
光若英夫
三段目281957年9月 - 1995年3月(停年(定年。以下同)退職)花籠部屋放駒部屋
能登ノ山竜三十両131958年5月 - 1971年7月(死去)立浪部屋
若乃里雄三十両51959年5月 - 1983年4月(死去)花籠部屋
宮坂清十両171959年11月 - 1985年7月(死去)若松部屋
十両時代の四股名は高瀬山
瀧見山延雄十両41962年3月 - 1992年9月(停年退職)二所ノ関部屋


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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