世襲貴族
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世襲貴族(せしゅうきぞく、英語: hereditary peer)とは、爵位世襲できるイギリス貴族のことである。

イギリスでは一代貴族法服貴族聖職貴族など非世襲の貴族が存在するため、それと区別するための分類である[1]。2021年11月現在総計809家の世襲貴族家が存在する。内訳は公爵家30家(うち王族公爵が6家)、侯爵家が34家、伯爵家が191家、子爵家が111家、男爵家が443家である。
歴史
黎明期の貴族制度.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}征服王ウィリアム1世伯爵の貴族称号を制度化した。右は伯爵の位階を示すコロネット

エドワード懺悔王(在位:1042年 - 1066年)の代にはすでに貴族の爵位の原型があったようである。エドワード懺悔王はイングランドを四分割して、それぞれを治める豪族にデーン人が使っていた称号Eorlを与えたという。ただこの頃には位階や称号が曖昧だった[2]

確固たる貴族制度をイングランドに最初に築いた王は征服王ウィリアム1世(在位:1066年 - 1087年)である。彼はもともとフランスのノルマンディー公であったがエドワード懺悔王の崩御後、イングランド王位継承権を主張して1066年にイングランドを征服し、イングランド王位に就いた(ノルマン・コンクエスト)。重用した臣下もフランスから連れて来たノルマン人だったため、大陸にあった貴族の爵位制度がイングランドにも持ち込まれた[3]

ウィリアム1世によって最初に制度化された貴族称号は伯爵(Earl)であり、1072年にウィリアム1世の甥にあたるヒュー(英語版)に与えられたチェスター伯爵(Earl of Chester)がその最初の物である[注釈 1]。伯爵は大陸ではCountと呼ぶが、イングランドに導入するにあたってウィリアム1世は、エドワード懺悔王時代のEorlを意識してEarlとした。ところが伯爵夫人たちにはEarlessではなく大陸と同じCountessの称号を与えた。これは現在に至るまでこういう表記であり、伯爵だけ夫と妻で称号がバラバラになっている[2][6]

14世紀初頭まで貴族身分はごく少数のEarl(伯爵)と大多数のBaron(男爵)だけだった。初期のBaronとは貴族称号ではなく直属受封者を意味する言葉だった[7][8]。Earlのみが、強力な支配権を有する大Baronの持つ称号であった[9][10]

Baronについては13世紀から14世紀にかけて大baronのみを貴族とし、小baronは騎士層として区別するようになりはじめ、baronという言葉も国王から議会招集令状(英語版)(Writ of summons)を受けてイングランド議会に出席し、それによって貴族領と認められた所領を所有する貴族を意味するようになっていった[11][12]。一方召集令状を受けない小Baron(騎士)は州裁判所を通して州代表として議会に入るようになる[13]
勅許状による貴族制度の成立伯爵位叙爵を認める勅許状。廷臣ジェイムズ・バーティ(英語版)(右)はこの勅許状授与を経てアビンドン伯爵位を得た。

しかしヨーロッパ大陸から輸入された公爵(Duke)、侯爵(Marquess)、子爵(Viscount)が貴族領の有無・大小と関わりなく勅許状(Letters patent)によって与えられる貴族称号として登場してくると、Baronも所領保有の有無にかかわらず勅許状によって与えられる最下位の貴族称号(「男爵」と訳される性質の物)へと変化した[9][12]。国王勅許状による称号としての男爵(Baron)位を最初に受けたのは1387年にキッダーミンスター男爵(Baron of Kidderminster)に叙されたジョン・ド・ビーチャム(英語版)である[9]。勅許状による貴族称号には議会出席権が付随しており、国王の議会召集令状を受けなくても議会に出席できる[9]

貴族称号の最上位である公爵(Duke)は、1337年エドワード3世(在位:1327年 - 1377年)が皇太子エドワード黒太子コーンウォール公爵(Duke of Cornwall)を与えたのが最初の事例である[5]。ついでヘンリー3世の曾孫ヘンリーランカスター公爵(Duke of Lancaster)位が与えられたことで公爵位が貴族の最上位で王位に次ぐ爵位であることが明確化した[14]。臣民で最初に公爵位を与えられたのは1483年リチャード3世(在位:1483年 - 1485年)よりノーフォーク公爵(Duke of Norfolk)に叙せられたジョン・ハワードである[15][16]侯爵(Marquess)は、1385年オックスフォード伯爵ロバート・ド・ヴィアがダブリン侯爵(Marquess of Dublin)に叙されたのが最初であり、子爵(Viscount)は1440年に第6代ボーモント男爵ジョン・ボーモントにボーモント子爵(Viscount Beaumont)位が与えられたのが最初である[17]

15世紀以降には新貴族叙任はこの勅許状による貴族称号創出で統一された[9][18]。所領の保有は貴族たることの前提条件ではなくなり、またその称号に冠されている地名が受爵者の所領であるとは限らなくなった。1328年創設のマーチ伯爵が受爵者の所領と無関係な最初の称号である[9]
近世・近代の世襲貴族の急増女王エリザベス2世ハロルド・マクミラン


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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