世良田満義
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 凡例世良田満義
時代鎌倉時代後期-南北朝時代
生誕嘉元2年(1304年
死没応安元年/正平23年(1368年
別名孫次郎
官位下野守
氏族世良田氏
父母父:世良田家時[1]
兄弟貞国、満氏、満義[2]
子義秋[1][3]政義
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世良田 満義(せらだ みつよし)は、鎌倉時代後期から南北朝時代武将
経歴・人物

上野国新田荘世良田郷領主。新田義貞鎌倉攻めに従い、稲村ヶ崎にて安東聖秀勢を破る[4]延元3年/建武5年(1338年)義貞が越前にて戦死すると世良田郷に戻る[4]

満義は元享3年(1323年)、嘉暦3年(1328年)、元徳2年(1330年)に長楽寺に田地等を寄進している[5]
脚注[脚注の使い方]^ a b尊卑分脈
^ 『世良田系図』
^ 『徳川系図』
^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『世良田満義』 - コトバンク
^ 『長楽寺文書』


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