世界遺産
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TBS系列のテレビ番組については「世界遺産 (テレビ番組)」をご覧ください。
世界遺産のエンブレムの旗。このエンブレムは第2回世界遺産委員会で採択されたミシェル・オリフ作の標章で[1]、人間の文化(四角)と地球の自然(円形)が分かちがたいことを示している[2] ユネスコの世界遺産 (インタラクティブマップ)

世界遺産(せかいいさん、(英語: World Heritage Site)は、1972年ユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リスト(世界遺産一覧表)に登録された、文化財景観自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産が対象となっている。慣例的な用法として、その中の文化遺産を世界文化遺産、自然遺産を世界自然遺産と呼ぶことがある。

なお、世界遺産の制度では正式な文書は英語とフランス語で示され、日本語文献では英語が併記されることがしばしばある一方、フランス語が併記されることは普通ないため、以下では参照しやすさを考慮し、主たる用語には英語を併記する[3]
概要

世界遺産は、「顕著な普遍的価値」を有する文化遺産自然遺産などであり、1972年に成立した世界遺産条約に基づき、世界遺産リストに登録された物件を指す。世界遺産条約はユネスコ成立以前、20世紀初頭から段階的に形成されてきた国際的な文化財保護の流れと、国立公園制度を最初に確立したアメリカ合衆国などが主導してきた自然保護のための構想が一本化される形で成立したものである。

世界遺産は、政府間委員会である世界遺産委員会の審議を経て決定される。その際、諮問機関として、文化遺産については国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が、自然遺産については国際自然保護連合(IUCN)がそれぞれ勧告を出し、両方の要素を備えた複合遺産の場合には、双方がそれぞれ勧告する。潜在的ないし顕在的に保存することが脅威にさらされている遺産は、危機遺産リストに登録され、国際的な協力を仰ぐことになる。それ以外の世界遺産も、定期報告を含む保全状況の確認が登録後にも行われる。適切な保護活動が行われていないなど、世界遺産としての「顕著な普遍的価値」が失われたと判断された場合には、世界遺産リストから抹消されることもありうる。実際、2007年にはアラビアオリックスの保護区が初めて抹消された物件となった。その後も2件の世界遺産が抹消されている。

その一方で、世界遺産条約締約国は190か国を超え、2015年には世界遺産リスト登録物件が1,000件を超えた。世界遺産条約はもっとも成功した国際条約と呼ばれることもしばしばであるが、反面、その登録件数の増加に対しては、保護・管理といった本来の趣旨に照らして懸念を抱く専門家たちもいる。のみならず、専門家の勧告を覆す政治的決定の増加、都市開発と遺産保護の相克、過度の観光地化など、知名度が高くなったからこその問題も持ち上がっている。また、複数国で共有する「国境を越える世界遺産」は国際平和に貢献しうるものではあるが、領土問題や歴史認識が関わる審議では、国際的あるいは国内的に物議を醸すこともあり、武力衝突につながったことさえある(タイとカンボジアの国境紛争)。

世界遺産を守っていくためには教育や広報の重要性も指摘されており、ユネスコは若者を対象にした教材の開発や国際フォーラムの開催なども実施してきた。大学などの研究者には「世界遺産学」という学際的な学問を提唱する者たちもおり、大学・大学院によっては世界遺産に関する学科や専攻が設置されている場合があるほか、関連する講座が開講されている大学もある。

世界遺産は有形の不動産を対象としており、同じユネスコの遺産でも、無形文化遺産世界の記憶(世界記憶遺産)とは異なる制度である。ただし、日本語の文献や報道では、これらがまとめて「ユネスコ三大遺産事業」などと呼ばれることもある。
歴史

ユネスコ第8代事務局長松浦晃一郎は2008年に世界遺産について叙述した際、1978年から1991年を「第一期」、1992年から2006年を「第二期」、2007年からを「第三期」と位置づけていた[4]。以下ではこの区分に準じて、世界遺産の歴史を叙述する[注釈 1]
前史アブ・シンベル神殿の移築工事(1967年)移築後のアブ・シンベル神殿(2007年)

国際的に文化遺産を保護しようという動きは、戦時における記念建造物などの毀損を禁じた1907年ハーグ条約から始まったとされる[5]。その後、レーリッヒ条約(英語版)、アテネ憲章なども整備されたが、第一次世界大戦第二次世界大戦では文化財にも多大な損害がもたらされた[6]

1945年に国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が設立されると、その憲章には、「世界の遺産[注釈 2]である図書、芸術作品並びに歴史及び科学の記念物の保存及び保護を確保し、且つ、関係諸国民に対して必要な国際条約を勧告すること」(第1条・抜粋)と明記された[7]。ユネスコは文化遺産保護の制度を整備していき、1951年には「記念物・芸術的歴史的遺産・考古学的発掘に関する国際委員会」が設立された[8]。この委員会の勧告をもとに、ユネスコ総会での採択を踏まえて1959年に設立されたのが、文化財保存修復研究国際センター(英語版)(ICCROM)である[8]


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