世界貿易センター爆破事件
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この項目では、1993年の事件について説明しています。2001年の事件については「アメリカ同時多発テロ事件」をご覧ください。

世界貿易センター爆破事件
世界貿易センタービルの地下駐車場
場所 アメリカ合衆国ニューヨーク
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度42分41秒 西経74度00分43秒 / 北緯40.711452度 西経74.011919度 / 40.711452; -74.011919座標: 北緯40度42分41秒 西経74度00分43秒 / 北緯40.711452度 西経74.011919度 / 40.711452; -74.011919
日付1993年2月26日
午後0時17分 –
標的世界貿易センタービル
攻撃手段車の爆破
シアン化ナトリウムの放出未遂
死亡者6人
負傷者1042人
容疑者アルカーイダ
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世界貿易センター爆破事件(せかいぼうえきセンターばくはじけん、World Trade Center bombing)は、1993年2月26日ニューヨーク世界貿易センタービル(WTC)の地下駐車場が爆破された事件である。

犯行はイスラム原理主義テロ組織アルカーイダウサーマ・ビン・ラーディン)とイスラム集団オマル・アブドッラフマーン)が関与したとされている。
事件の背景

1991年湾岸戦争において、クウェートに侵攻したイラク軍アメリカ合衆国を中心とする多国籍軍が撤退させた。アメリカ軍メッカマディーナのあるサウジアラビアに駐留しイスラム原理主義過激派を刺激した。

事件の起きた1993年には前月の1月にバージニア州ラングレーにある中央情報局(CIA)本部の正門前でパキスタン人のミル・アイマル・カシ(偽名でアメリカに入国した際の名前はミル・アイマル・カンシ)が路上の車内からAK-47型のライフルを乱射、CIA職員2名が殺される事件が発生していた(カシは1997年連邦捜査局によって誘き寄せられたパキスタンパンジャーブ州で身柄拘束され、アメリカで第一級殺人の罪で2002年薬殺刑に処せられた)。

アメリカとイスラム過激派との対立は拡大を続け、2001年にはアメリカ同時多発テロ事件が起きることになる[要出典]。
爆破の準備

1992年ラムジ・ユセフイラク国籍の偽造パスポートでアメリカに入国した。警察は、ユセフと一緒に来たアブー・バッラの手荷物の中に爆弾を作る手引き書を発見した。その小冊子の中にも書かれていたアブー・バッラという名前は、ムハンマド・ジャマール・ハリーファの偽名であった。アブー・バッラは偽造パスポートの使用と爆弾製造マニュアルをもっていたこともあり、その場で逮捕された。ユセフは、移民帰化局(INS、2003年3月1日付けで廃止)の収容施設がその当時満員だったため、1か月後に再び出頭するように命じられた。

ユセフはニュージャージー州に住居をもち、ニューヨークやニュージャージーを旅していた。その後、刑務所の電話を使って、イスラム過激派の礼拝導師、オマル・アブドッラフマーンと会話している。ユセフはアブー・バッラから爆弾のマニュアルを再び入手した。彼は共犯者の手を借り、化学物質を混合して爆弾を作り始めた。その後、交通事故に遭い入院していたが、警察に押収されていた車からマニュアルを取り戻している。

エル・サイード・ノサイルは、アブドッラフマーンの一味であり、のちに爆破事件に関係したとして有罪を宣告されたが、1991年に起きたアメリカ系ユダヤ人ラビで、極右政党「カハ」の党首メイアー・カハネの殺害に関わったとして逮捕された。同じく爆破事件で有罪を宣告されたマフムード・アブー・ハリマは、ワディーフ・エル=ハッジにカハネの狙撃に使われたライフル銃を調達するように指示した。ノサイルは殺人については無罪になったが、銃を用意したとして有罪になった。彼の住んでいたアパートにはテロ計画に関係する爆弾作製のマニュアルや文書が多く見つかったが、その時はアラビア語から英語に翻訳されることはなかった。

ユセフは、盗んだのか借りたのかはわからないが、爆破に使う車としてバンを入手した。バンには8 m3の空間があり、1000 kgの爆発物を積むことができたが、ユースフには資金がなくそれほどの爆弾は製造されなかった。もし、もっと多くの資金があったなら、さらに多くの爆弾が製造されトラックに積まれていた可能性がある。
爆弾の製造

ユセフは、尿素の丸薬、ニトログリセリン、硫酸、アジ化アルミニウム、アジ化マグネシウム、密閉された水素を使って600 kgの混合爆弾を作った。さらにシアン化(青酸)ナトリウムを加えて、爆発時にその蒸気が換気ダクトやエレベーターを通じて広がることを意図した。その費用は300ドルほどであった。爆薬にはすべて被覆された6 mの導火線がつけられた。導火線に火をつけてから爆発まで12分の猶予があると計算されていた。

爆発による影響を大きくするために、爆発の煙がビルからの脱出を妨げ、中の人々に毒ガスを吸わせる事だけでなく、さらに爆発によってタワーIがタワーIIに倒れこんで崩壊させることも企図していた。
ビルの爆破

1993年2月26日、爆弾を積んだ車はテロリストによってタワーIの地下駐車場2階に置かれた。導火線は点火され、1秒に1cmの割合で進んだ。午後0時17分、爆弾は地下駐車場で爆発した。コンクリートの壁を突き破って4階層に渡り幅30mの穴が開いた。おそらく1GPa以上の圧力が生じ、爆発速度は、4.5 km/秒だったと考えられている。ユセフが仕込んだシアン化(青酸)ガスは、爆発の中で燃え尽きてしまったが、爆発により6人が殺害され、少なくとも1,040人以上が負傷した。

タワーの強度が爆弾の破壊力を上回っていたために、タワーの倒壊は起きなかった。爆発により、貿易センターの電気系統や電話回線もすべて寸断された。その煙は両方のタワーの93階にまで上昇して、4つある吹き抜け階段に充満し、緊急時に点灯した照明を覆った。ユースフは数時間後にパキスタンに向けて逃亡した。

死傷者の数は比較的少なかったが、この事件はアメリカに大きな衝撃を与えた。


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