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世界終末時計。2024年現在は「90秒前」となっている。
世界終末時計(せかいしゅうまつとけい、英語: Doomsday Clock)は、核戦争などによる人類(世界[1]や地球[2]と表現されることもある)の絶滅(終末)を『午前0時』になぞらえ、その終末までの残り時間を「0時まであと何分(秒)」という形で象徴的に示すアメリカ合衆国の雑誌『原子力科学者会報』(Bulletin of the Atomic Scientists) の表紙絵として使われている時計である。実際の動く時計ではなく、一般的に時計の45分から正時までの部分を切り出した絵で表される。「運命の日」の時計あるいは単に終末時計[3]とも呼ばれる。 第二次世界大戦中の原爆開発計画であるマンハッタン計画に参加したことを通じて、核エネルギーをもつ戦後世界においては科学者が積極的な社会的責任を負い果たさねばならなくなったことを認識したシカゴ大学などの科学者らは、戦後『シカゴ原子力科学者』と呼ばれる会を組織し、その会報『原子力科学者会報』において核エネルギー管理や軍拡競争の阻止、平和の維持の方法などについて議論した。共同主任編集者であった物理学者ハイマン・ゴールドスミス
概要
以後、同誌は、専門家などの助言をもとに、同誌の科学・安全保障委員会での議論を経てその「時刻」の修正を毎年1度行っている。すなわち、人類滅亡の危険性が高まれば分針は進められ、逆に危険性が下がれば分針が戻される。1989年10月号からは、核兵器からの脅威のみならず、気候変動による環境破壊や生命科学の負の側面による脅威なども考慮して、針の動きが決定されている。
時計の時刻が意味するものについて、同誌は、時計は未来を予測するものではなく、医師が検査結果だけでなく問診などを通じて総合的に診断するときのように、指導者や市民が社会状況の治療を行わない場合に起こる危険性を要約するものだとしている[4]。また、ケンブリッジ大学人類存亡リスク研究センター (en:Centre for the Study of Existential Risk, CSER) のS・J・ビアード (S.J. Beard) は、終末時計の目的が「人類が直面しているリスクがどれほど大きいかを伝えることではなく、そのリスクに私たちがどれだけうまく対応しているかを伝えること」にあるとする[5]。さらに、キューバ危機のような個別の事象ではなく、為政者が利用できる武器の存在とその使用を制限する制度・枠組みという「本質的に体系的」なものが破滅的な危機の回避にとっては重要であり、それが終末時計が測定しようとしているものだと説明する[5]。2010年代、時計が急速に針を進めた要因について、ビアードは、ひとつには気候変動のような新たな種類の脅威の出現とそれへの各国政府の対策の不十分さ、もうひとつにはそうして複合的になったリスクの管理の課題が深刻さを増していることを挙げている[5]。
これまでもっとも分針が進んだのは、ロシアのウクライナ侵攻に伴う核兵器使用の懸念が高まった2023年の90秒前[注 1]、もっとも分針が戻ったのはソビエト連邦の崩壊により冷戦が終結した1991年の17分前である。
終末時計はいわば仮想的なものであり、『原子力科学者会報』の新年号の表紙などに絵として掲載されているが、シカゴ大学には「オブジェ」が存在する。 年終末時計変化詳細
推移
1947年7分前 創設。
1949年3分前4分進む.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
ソビエト連邦が核実験に成功。
核兵器開発競争の始まり。
1953年2分前1分進むアメリカ合衆国とソ連が水爆実験に成功。
1960年7分前5分戻る
アメリカとソ連の国交回復。
パグウォッシュ会議の開催。
1963年12分前5分戻るアメリカとソ連が部分的核実験禁止条約に調印。
1968年7分前5分進む
フランスと中華人民共和国が核実験に成功。
第三次中東戦争、ベトナム戦争、第二次印パ戦争の発生。
1969年10分前3分戻るアメリカの上院が核拡散防止条約を批准。
1972年12分前2分戻る米ソがSALT IとABM条約を締結。
1974年9分前3分進む
SALT Iに続く米ソの軍縮交渉難航、両国によるMIRVの配備。
インドが最初の「平和的核爆発」に成功。
1980年7分前2分進む
米ソ間の交渉が停滞。国家主義的な地域紛争。
テロリストの脅威が増大する。
南北問題。イラン・イラク戦争。
1981年4分前3分進む
軍拡競争の時代へ。
アフガニスタン、ポーランド、南アフリカにおける人権抑圧が問題に。
1984年3分前1分進む米ソ間の軍拡競争が激化。
1988年6分前3分戻る米ソが中距離核戦力全廃条約を締結。
1990年10分前4分戻る
東欧の民主化。冷戦の終結。
湾岸戦争。
1991年17分前7分戻る
ソビエト連邦の崩壊。
ユーゴスラビア連邦解体。
1995年14分前3分進むソ連崩壊後もロシアに残る核兵器の不安。
1998年9分前5分進むインドとパキスタンが相次いで核兵器の保有を宣言。
2002年7分前2分進む
前年にアメリカ同時多発テロが起こる。
アメリカがABM条約からの脱退を宣言。
テロリストによる大量破壊兵器使用の懸念が高まる。
2007年5分前2分進む
北朝鮮の核実験強行。