世界社会フォーラム(せかいしゃかいフォーラム、英:World Social Forum、略称:WSF)は、スイスのダボスで開催される「世界経済フォーラム」に対抗するため作られたアルテルモンディアリスムのサミット。ダボスでは、大規模なデモを開催するには、人々を運ぶ交通能力に限界があることと、ニュース番組における、世界経済フォーラムの報道量を減らす両方の側面から、1月に開催されることが多い。
世界社会フォーラムは、地域の「社会フォーラム」を次々に発生させたほか、多くの地域別、国別の社会フォーラムができた。すべてではないが、ほとんどの場合、世界社会フォーラムで作成された、世界社会フォーラム憲章に基づいて運営されている。 ATTACの呼びかけにより開始。世界の富の8割がたった2割の人々に独占され残りの人々は貧しいままの現状に異を唱え、グローバリゼーションが世界にもたらす影響と問題を民衆の立場から考える国際運動である。ブラジルのポルトアレグレで2001年に第1回が開催されたため、「ポルトアレグレ会議」の別名がある(この辺りの経過はダボス会議と同様)。合言葉は「もう一つの世界は可能だ」(Another world is possible)。 1999年のWTOシアトル総会に対する反対の実際行動の流れを汲んだ事から、“過激な反グローバリゼーション運動”と見られがちであるが、実際は世界の格差構造を見据えた地球規模の連帯と、民主的現実的代替案を求める世界中のNGO・NPO・社会団体による世界的ネットワークである。 最初の世界社会フォーラムを計画・運営した世界社会フォーラム運営委員会を構成するブラジルの諸組織によって2001年4月9日にサンパウロで決議され、2001年6月10日、世界社会フォーラム国際委員会によって修正承認された。[1]。 全文がウィキソースに収録されている(英語)
目次
1 概要
2 世界社会フォーラム憲章
3 歴史
3.1 歴代開催地一覧
4 批判
5 地域フォーラム
6 参考文献
7 出典
8 関連事項
9 外部リンク
概要
世界社会フォーラム憲章が望まれています。
歴史 2005年に参加したレオナルド・ボフ
最初の世界社会フォーラムは、2001年1月25日から30日まで、ブラジルのポルト・アレグレで開かれた。フォーラムは、「もうひとつのグローバル化運動」に参加する多くの団体で組織された。参加団体には、ATTACフランス協会を含む。このころ、労働者党 (PT)に率いられたポルトアレグレ政府の援助を部分的に受けている。ポルトアレグレは、伝統的な代表権を持った機関と住民の公開会議を組み合わせる、地域政府の革新的モデルを実験していた。12,000人が世界中から参加し、当時、ブラジルも変革期であり、翌2002年のブラジル大統領選には、労働者党候補ルーラが当選した(2006年に60%以上の得票で再度当選し、2011年まで任期を延ばした)。
第1回と第2回の間に、最初の世界社会フォーラムを計画・運営した委員会によって世界社会フォーラムの目的と運動趣旨を定めた憲章作成が決議され、世界社会フォーラム国際委員会によって承認された。
第2回目の世界社会フォーラムは、2002年1月31日から2月5日まで、再度ポルトアレグレで開催された。12,000人の123ヶ国からの公式代表のほか、出席者は60,000人になり、652のワークショップと、27の会議に参加した。
第3回目の世界社会フォーラムは、2003年1月に同じくポルトアレグレで開催された。同時進行でさまざまなワークショップが開かれた。ワークショップには、共産主義でもない、資本主義でもない、資本主義後の生活ワークショップがあった。これは、これまでと違う、社会的、政治的、経済的な対話構造の参加可能性を探るものだった(参考:資本主義後の生活ワークショップ(英語))。2003年には、著名なアメリカ言語学の作家ノーム・チョムスキーもスピーカーとして参加した。
第4回の世界社会フォーラムは、2004年1月16日から1月21日まで、インドのムンバイで開かれた。75000人の参加が予想されたが、それより数千人多く人が参加した。この回では、文化的な多様性や、フリーソフトウェアに関して採り上げられた決定が注目される点である。キースピーカーの一人に、2001年にノーベル経済学賞を受賞した、ジョセフ・E・スティグリッツがいた。
第5回は2005年1月26日から1月31日まで、ブラジルのポルトアレグレで行われた。登録された参加者だけで155,000人(ポルトアレグレ・マニフェスト en:Porto Alegre Manifesto より)で、ブラジル、アルゼンチン、アメリカ、ウルグアイ、フランスだけで多くを占める。
第6回は、2006年1月にベネズエラのカラカスとマリのバマコで行われ、3月にパキスタンのカラチで行われた。カラチの3月開催は、パキスタン地震によって遅れたためである。
第7回は、2007年1月に、ケニアのナイロビで行われた。110ヶ国から、1400団体、66,000人の登録参加者が集まり、それまででもっとも世界を代表する形の世界社会フォーラムだった。[2]
アメリカの地域フォーラムは、アメリカの南西部、北西部、北東部、中西部、中東部[3]で行われた。2007年6月27日から7月1日まで、2007年アメリカ社会フォーラムが、アトランタの繁華街で行われた。
第8回は、特定の場所で開催はされない。その代わりに2007年1月26日が「国際行動デー」として世界行動・結集の日として呼びかけが始まっており、世界各地でイベントが開催される予定。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
歴代開催地一覧
第1回?第3回:ブラジル・ポルトアレグレ、2001年?2003年
World Social Forum 2003
第4回:インド・ムンバイ、2004年
⇒World Social Forum, India 2004
第5回:ポルトアレグレ、2005年
第6回:ベネズエラ・カラカス;マリ・バマコ;パキスタン・カラチ、2006年
⇒World Social Forum, 2006Polycentric WSF 2006 ? ⇒Bamako, Mali and ⇒Caracas, Venezuela ⇒Southeast Social Forum 2006 ⇒Midwest Social Forum 2006 ⇒World Social Forum Karachi : A left critique
第7回:ケニア・ナイロビ、2007年1月20日?25日
⇒WSF in Nairobi, 20-25 January, 2007
国際委員会以外による個別フォーラム開催
⇒Boston Social Forum 2004
⇒Southwest Ontario Regional Social Forum 2006
Southeast Social Forum 2006(USA)
⇒2007年アメリカ社会フォーラム
批判