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世界真光文明教団主座世界総本山(静岡県伊豆市冷川・伊豆スカイライン沿い)
前身L・H陽光子友乃会
設立1963年(昭和38年)11月19日
設立者岡田光玉(初代教え主)
種類宗教法人
法人番号9080105001596
本部静岡県伊豆市冷川1524-4
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度55分13.6秒 東経139度1分3秒 / 北緯34.920444度 東経139.01750度 / 34.920444; 139.01750座標: 北緯34度55分13.6秒 東経139度1分3秒 / 北緯34.920444度 東経139.01750度 / 34.920444; 139.01750
三代教え主関口勝利
ウェブサイトhttps://www.mahikari.or.jp/
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世界真光文明教団(せかいまひかりぶんめいきょうだん)は、静岡県伊豆市に本部を置く新宗教。指導者は関口勝利。
手をかざして災厄を祓うとする「真光の業」と、「神理正法」という教えを軸に活動している。日本を中心に、台湾、アメリカ、メキシコ、アフリカを含め世界各地に道場がある。
歴史「真光系諸教団#真光裁判」および「崇教真光」も参照主晃一大神宮のインテリア
陸軍の元軍人で実業家であった岡田光玉が、1959年(昭和34年)58歳の時に5日間高熱に浮かされ、2月27日に神の啓示を受けたという[1]。「主の神」から「魁のメシア」という役目を与えられた岡田は、実業家の仕事を続けながら「L・H陽光子乃友」を立教し、宗教活動も行った[1][2]。1963年(昭和38年)に教団名を「世界真光文明教団」に改めた。
初代教祖(教え主)の岡田は一時手かざし(浄霊)を行う世界救世教の有力信徒であり、手かざしを含め、二つの教団の教理、儀礼には共通点が多いと指摘されている[2]。ただし、教会ごと脱退したわけではないので分派とはされていない。真光は次第に信者を増やしたが、宗教学者の島田裕巳は「その教えがシンプルで、教義や戒律をほとんど問題にしないことが広く受け入れられた原因だった」と評している[1]。
1974年(昭和49年)6月23日に岡田光玉は73歳で急逝し、後継者をめぐって養女の岡田恵珠派と幹部信者の一人だった関口榮派に分裂、裁判(俗に言う真光裁判)となり関口榮側が勝訴。これを受けて、1982年(昭和57年)に岡田派は崇教真光として別々の道を歩むこととなる。信者の約1/4が関口を二代教え主とする世界真光文明教団に[3][4]、約3/4が恵珠を教え主とする崇教真光に分裂。世界真光文明教団と崇教真光の基本教義・儀礼に大きな差はない[2] とされるも、岡田光玉が最後に受けた重大御神示に対する理解や世界総本山建立方針(場所やデザイン)の違いは大きい。現在、世界真光文明教団は関口榮の息子の関口勝利が三代目を継承している。
1987年(昭和62年)8月23日には、静岡県伊豆市に本山である主晃一大神宮(スノヒカリヒイオオカムノミヤ)を建立、主晃一大神宮の屋根は黄金発色のチタンで葺かれている。
1989年(平成元年)には幹部を養成する崇教実践陽光大学(現:陽光大学)を開校している。
1996年(平成8年)に設立された株式会社ミロクリゾートは教団関連企業として注目される[5]。
2009年(平成21年)8月2日には立教50周年大祭が行われた。 教義は習合的で、神道の要素が多く、千年王国主義的な面を持つ[3]。 世界は多くの層からなる地獄、肉体界、アストラル界、霊界、神界などからなり、頂点に主神があり、いく柱かの主な神々が補佐するとされる[3]。 人間は、霊体・幽体
沿革
1901年(明治34年)2月27日 岡田光玉(本名良一)が東京都青山に生まれる。
1922年(大正11年) 陸軍士官学校を卒業、近衛兵第一連隊に配属される。
1941年(昭和16年) ベトナム戦でカリエスを再発、余命3年の宣告を受ける。
1945年(昭和20年) 経営していた会社工場が空襲で全焼し莫大な借金を負う。
1959年(昭和34年)2月27日 立教に関する神示が下りる。
1959年(昭和34年)6月11日 第一回真光研修会を大森天祖神社で開催
1959年(昭和34年)8月28日 「LH陽光子友乃会」を設立。
1959年(昭和34年) 関口榮が入会
1962年(昭和37年)1月1日 火の洗礼期に突入
1962年(昭和37年)2月4日 羽根木元み魂座完成
1962年(昭和37年) 世界真光文明教団設立
1963年(昭和38年)11月19日 宗教法人登記
1967年(昭和42年)3月4日 田園調布仮神殿地鎮祭
1969年(昭和44年)8月24日 立教10周年大祭。世界本山建立を発表。関口榮が世界本山造営委員長に就任。
1969年(昭和44年) 御聖言発刊
1970年(昭和45年)5月1日 訓練部設立
1971年(昭和46年)3月 真光青年隊全国統一結成
1973年(昭和48年)9月 ヨーロッパ巡光
1974年(昭和49年)6月16日 北関東方面合同周年祭(高崎)、岡田光玉最後の教示
1974年(昭和49年)6月23日 初代教え主様神幽られる
1975年(昭和50年)1月11日 関口榮に神示が下りる。神名「聖峰」を発表
1982年(昭和57年)2月10日 伊豆天城(丸野山)に主座建設を発表
1982年(昭和57年)4月2日 ミロク神殿地鎮祭
1987年(昭和62年)7月14日 奥宮上棟祭
1987年(昭和62年)8月23日 伊豆市冷川主座世界総本山を建立
1989年(平成元年)4月2日 崇教実践陽光大学発足
1992年(平成4年)10月 崇教実践陽光大学台湾分校発足
1993年(平成5年)2月 陽光文明研究会発足
1993年(平成5年)12月 学校法人陽光学園設立
1994年(平成6年)1月3日 三代教え主を関口勝利氏に指名し、二代教え主様神幽られる
1994年(平成6年)1月6日 関口勝利に神示が下りる。神名「聖翔」を発表
1994年(平成6年)3月25日 上野元み魂座竣工
1994年(平成6年)4月3日 先祖頌徳碑建立
1994年(平成6年)4月25日 中伊豆医院竣工
1996年(平成8年)6月 株式会社ミロクリゾート設立
1996年(平成8年)9月 陽光美術館設立(佐賀県)
1997年(平成9年)7月24日 陽光会館竣工
1997年(平成9年)9月10日 観音山神殿竣工遷座祭
2000年(平成12年)5月5日 スピリチュアルボランティア発足
2000年(平成12年)5月13日 富士コンピュータ専門学校竣工
2000年(平成12年)6月4日 霊園を開発
2007年(平成19年)3月30日 教団大ミソギを顧みる会開催
2009年(平成21年)6月6日 錬成館竣工
2011年(平成23年)11月 アメリカ主座完成
2023年(令和5年)4月25日 台湾主座完成
2023年(令和5年)7月16日 元宮・元晃大国魂宮完成(北海道川上郡弟子屈町)
教義伊那旭魂霊修験道場(2009年)