世界産業労働組合
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世界産業労働組合
(IWW)
Industrial Workers of the World

設立年月日1905年
国籍 アメリカ合衆国
本部所在地 アメリカ合衆国
イリノイ州 シカゴ
公式サイト ⇒IWW 公式サイト

世界産業労働組合(: Industrial Workers of the World, IWW)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴに本部を置く国際的な労働組合1905年創設。最盛期の1923年には10万人の組合員を擁し、30万人の労働者を傘下に持った。1924年に内部対立と政府の圧力から分裂。現在も2000人のメンバーを擁する小規模組合として存続している。すべての労働者は一つの組合の下に団結することと、賃労働の廃止を主張としている。
結成[ソースを編集]

1905年6月シカゴにおいて、サミュエル・ゴンパーズ率いるアメリカ労働総同盟(AFL)の保守的な傾向に反対していたビル・ヘイウッド(英語版)、ダニエル・デ・レオンユージン・V・デブスら200人の労働運動家やAFLから排除されていた社会主義者無政府主義者によって結成された。

AFLは労使協調を主張してストライキや革命運動に反対しており、IWWはこれに対して戦闘的な組合だった。
戦術をめぐる論争[ソースを編集]

デ・レオンら政党結成論者は、IWWの目標である労働者の解放には、政治的な行動が一番の道であると訴えた。これに対し後にヘイウッドら直接行動派はストライキプロパガンダ活動ボイコットなど直接行動で闘うべきだと主張し、激しい論争が戦われた。

結局ヘイウッドら直接行動派が論争に勝利し、1908年デ・レオンらは離脱した。
活動[ソースを編集]ニューヨーク市における世界産業労働組合のデモ、1914年

1912年の時点でIWWは5万人の組合員を持ち、特に北西部では港湾労働者、中部では農民の組合員が多く、紡績工場や炭鉱地帯にも大量の組合員がいた。IWWは150以上のストライキに関わり、マサチューセッツ州ローレンスでは移民労働者、ニュージャージー州パターソンでは紡績労働者による大規模なストライキを起こした。

IWWにはAFLから排除されていた非熟練労働者や季節労働者、移民労働者、アフリカ系アメリカ人労働者が大量に加盟し、特にアフリカ系だけで最盛期に5万人が加盟していた。

1915年には中部から西部にかけての農民による農業労働者組合(英語版)や土木労働者による木材産業労働者組合(英語版)を結成した。
政府の弾圧[ソースを編集]

IWWの活動に対して政府は苛烈な弾圧で応じた。1914年には組合員だった歌手のジョー・ヒル(en)が殺人容疑で逮捕され、状況証拠のみで物的証拠はなかったにもかかわらず1915年11月19日ユタ州において処刑された。1916年11月5日にはワシントン州エヴェレットにおいていわゆるエヴェレット虐殺(英語版)が起きた。保安官ドナルドマクローなど経営者側の武装集団が蒸気船ベロナ号に乗船していたウォブリーに襲い掛かり少なくとも5人が殺された。武装集団側にも2名の死者が出た。

多くのIWWメンバーが合衆国の第一次世界大戦への参戦に反対した。1916年には組織として戦争に反対する決議が可決した。すべての戦争に反対し、「平時には反軍国主義の宣伝を行って全世界の労働者との階級連帯をすすめ、戦争になったときにはゼネラル・ストライキを行う」というものである[1]

しかし、1917年4月にアメリカが戦争に突入すると、IWWは組合の存続を優先するため戦争反対を正面に持ち出すことを避けた[1]。にもかかわらず、IWWが戦争をサボタージュするためにドイツから資金を得ているとか、農作物を焼き払う陰謀を企んでいるといった根拠のない報道をする新聞があった[2]。1917年8月にはIWWメンバーがモンタナ州ブットにおいてリンチにあった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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