世界歌謡祭
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

TBSの主催により1972年から1992年まで毎年初夏に日本武道館で開催されていた「東京音楽祭」とは異なります。

世界歌謡祭
World Popular Song Festival
世界歌謡祭の会場となった日本武道館
通称・略称WPSF
開催時期毎年10月
初回開催1970年
最終開催1989年
会場日本武道館
主催ヤマハ音楽振興会
後援外務省文化庁東京都、日本航空、フジテレビジョン、ニッポン放送、ヤマハ発動機、ヤマハ、ヤマハレクリエーション
備考:
1988年は諸事情で中止。
テンプレートを表示

世界歌謡祭(せかいかようさい、World Popular Song Festival)は、ヤマハ音楽振興会が主催し1970年から1989年まで毎年秋頃に日本武道館で開催されたポピュラーソングコンテスト。通称「東洋のユーロビジョン・ソング・コンテスト」。
解説

1970年に東京国際歌謡音楽祭として開始され、翌年からは世界歌謡祭に改称された。日本からも弘田三枝子などの実力派歌手が出場している。1987年からはネッスル共催のBAND EXPLOSIONとの併催で行われていた。

1988年の第19回大会は昭和天皇の容態悪化を考慮し開催を中止。1989年の第20回大会は「世界歌謡祭記念大会」と題して開催され、ユニセフとの共催で歴代グランプリ受賞者によるチャリティーコンサートとし[1]、20年の歴史に幕を下ろした。

テレビはフジテレビ日本テレビコッキーポップ)、ラジオはニッポン放送(コッキーポップ→ぽっぷん王国)でそれぞれ放送されていた。グランプリ受賞曲はフジテレビ『夜のヒットスタジオ』にて披露された。TBS東京音楽祭と並ぶ国際ポピュラー音楽コンクールとなった。

本大会は3日間にわたって開催。末期には2日間、1986年以降は1日開催となっており、最終日に本選が行われ、グランプリにはメダリオンと賞金10000ドルが授与されるほか、ほかに最優秀歌唱賞、金賞、川上賞、オーディエンス賞などがあった。

1973年1月にカンヌで開かれたFIDOF(国際音楽祭連盟)の第7回総会において、世界歌謡祭がその優れた組織と運営に対して賞(詳細な賞名は不明)を贈られた[2]。1977年、世界歌謡祭は、FIDOFより「最もすぐれた世界を代表する音楽祭」として、FIDOFの名誉会長であるアウグスト・アルグエロ直筆によるニ度目の表彰状が贈られた[3]
エピソード

当大会の司会は第1回から第15回まで坂本九が担当しており、大口のスポンサーとして日本航空ハウス食品工業が名を連ねていた。

しかし、1985年8月12日に起こった日本航空123便墜落事故により、坂本(過去ハウスのCMに出演歴あり)と当時のハウス社長・浦上郁夫がその犠牲となった。そのため、同年の第16回大会(司会はこの回から第2回グランプリ受賞者の上條恒彦)では大会中坂本の追悼コーナーも設けられた。

なお、同事故の影響により日航は第16回大会のスポンサードを辞退したが、第17回からスポンサーに復帰している。
歴代グランプリ

回本選日時作品
(得点順)歌手国
第1回1970年11月22日
ナオミの夢ヘドバとダビデイスラエル
第2回1971年11月27日ただ愛に生きるだけ
出発の歌マルティーヌ・クレマンソー(フランス語版)
上条恒彦六文銭[4]フランス
日本
第3回1972年11月19日恋のフィーリング
生きることが人生さカプリコーン
アーニー・スミス(英語版)イギリス
ジャマイカ
第4回1973年11月18日あなた(グランプリ1)[注釈 1]
パリは不思議(グランプリ2)[2]
遥かなる道(グランプリ2)[2]
恋に有頂天(グランプリ2)[2]小坂明子
ジルダ・ジュリアーニ(イタリア語版)[5]
ショーン・フィリプス(英語版)[4]
キーリー・フォード[4]日本
イタリア
アメリカ
イギリス
第5回1974年11月17日夢みる心地
いつのまにか君はエレン・ニコライセン(英語版)[6]
浜田良美[4]ノルウェー
日本
第6回1975年11月16日ラッキー・マン
時代ミスター・ロコ(英語版)
中島みゆきメキシコ
日本
第7回1976年11月21日せつなく甘く
グッドバイ・モーニングフランコ&レジーナ[4]
サンディー[6]イタリア
日本
第8回1977年11月13日あんたのバラード
燃える想い世良公則&ツイスト
ラッグス日本
イギリス
第9回1978年11月12日夢想花
ラブ・ロック円広志
ティナ・チャールズ(英語版)[4]日本
イギリス
第10回1979年11月11日哀しみのオーシャン
大都会ボニー・タイラー
クリスタルキング[4]イギリス
日本
第11回1980年11月16日風に消えた恋
街が泣いてたメアリー・マッグレガー(英語版)[6]
伊丹哲也&Side by Sideアメリカ
日本
第12回1981年11月1日完全無欠のロックンローラー
希望への道アラジン
オズヴァルド・ロドリゲス(英語版)日本
キューバ
第13回1982年10月31日花ぬすびと
孤独の扉明日香
アン・ベルトゥチ日本
アメリカ
第14回1983年10月30日愛のゆくえ
冬の華ニュートン・ファミリー
磨香ハンガリー
日本
第15回1984年10月28日パーティー・ライツ
ふられ気分でRock'n' Rollフランス・ジョリ(英語版)[6]
TOMCATカナダ
日本
第16回1985年10月27日…洋子
恋のパズル尾崎和行 & コースタルシティ
ヴァレリア・リンチ(英語版)[6]日本
アルゼンチン
第17回1986年10月26日
(本選のみ)明日行きの列車
ロングショット小野健児
ステイシー・ラティソウ(英語版)日本
アメリカ
第18回1987年10月31日
(本選のみ)(海外グランプリ)テイク・オン・ザ・ワールドスード・エコー(英語版)オーストラリア
(日本グランプリ)No, No, No[注釈 2]武内千佳日本


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:97 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef