世界ボクシング機構
World Boxing Organization略称WBO
設立1988年
種類ボクシング組織
本部 プエルトリコ・サンフアン
会長フランシスコ・バルカルセル
世界ボクシング機構(せかいボクシングきこう、World Boxing Organization / WBO)は、プロボクシングの世界王座認定団体の一つである。世界ボクシング協会(WBA)から分裂して1988年に設立された。本部はプエルトリコのサンフアンにある。現会長はフランシスコ・バルカルセル。 1988年のWBAの会長選挙結果を受け、カリブ地域の反対派とアメリカ合衆国の有力プロモーターの思惑が一致し分派、ルイス・サラス
歴史、概要
発足当初は、シュガー・レイ・レナードに対抗するトーマス・ハーンズが複数階級制覇のため安易に利用するなどマイナータイトルの域を出なかったが、1990年代に入りオスカー・デ・ラ・ホーヤの活躍で徐々に認知度がアップ。その後、1990年代後半になるとナジーム・ハメド、マルコ・アントニオ・バレラ、アセリノ・フレイタス、ビタリ・クリチコ、ウラジミール・クリチコ、マニー・パッキャオ、ダリユシュ・ミハルチェフスキ、ジョー・カルザゲ、ミゲール・コットといった人気と実力を備えた選手がWBO王座を持ったことで、世界王座認定団体としての地位を確立。現在ではWBA、世界ボクシング評議会(WBC)、国際ボクシング連盟(IBF)と共に主要4団体のひとつに数えられるまでに至った。
2009年10月より女子王座の認定も開始。スージー・ケンティキアンとイナ・メンツァーを最初の女子世界王者とした。なお、女子の階級については他団体に存在しないジュニアヘビー級が設置されている。 日本のJBCは、長らくIBFおよびWBOへの日本選手の参加を認めていなかった。これはIBFの項でも触れられているが、JBCが「王座の乱立は望ましくない」とのスタンスを保っていることが主な理由である。しかし近年はIBFやWBOの王者がWBAやWBCの王者と統一戦を行う場合があることや、世界的に知名度の高い王者を輩出することなどで両団体の評価が高まり、日本選手の王座挑戦機会を増やすためにもJBCは両団体を認定するべきだ、との声も強くなっていた。実際、WBOはJBCの認定を目指し、1998年にニューヨーク在住の旅行会社オーナー・正野篤史(しょうのあつし=元三迫プロモーションマネージャー)に日本代表としての認定証を託し、JBCへ送り込んだ経緯もあった。 JBCが認可する以前より、同団体の王座への挑戦を行う日本のボクサーは存在した。最も古い例では、1995年2月19日に米国カリフォルニア州で行われた試合で、西島洋介山が北米ボクシング機構(NABO)クルーザー級王座を獲得している。また2002年12月15日に大阪府池田市で開催された興行において、野上真司がWBOアジア太平洋スーパーフェザー級王座に挑戦し、日本人選手として初めて同王座を獲得している。2008年10月11日に韓国のボクシングコミッションのライセンスを取得した木村隼人がWBOアジア太平洋スーパーフライ級暫定王座を獲得、2009年12月12日には山口賢一がWBOアジア太平洋スーパーバンタム級暫定王座を獲得、2011年11月15日には竜宮城がWBOアジア太平洋フェザー級王座に挑戦したが王座獲得に失敗している。2012年4月30日に大阪府堺市での興行でOPBF東洋太平洋フェザー級王者の大沢宏晋がWBOアジア太平洋フェザー級暫定王者のロベルト・コパ・パルエ
日本との関係
JBC加盟前