世界を揺るがした10日間
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ボニ&リヴライト社の1919年初版

『世界を揺るがした10日間』(せかいをゆるがしたとおかかん、Ten Days That Shook the World)[note 1]は、1917年ロシア十月革命についてアメリカ合衆国ジャーナリスト社会主義者ジョン・リードが執筆したルポルタージュ作品。リードは十月革命を直接経験した。リードはロシアにいる間に多くの著名なボリシェヴィキの指導者を取材した。ジョン・リードはこの本を出版してすぐの1920年に死去し、社会主義革命の英雄としてモスクワクレムリンの壁に埋葬されている。
概要

リードはロシア革命を取材する間、社会主義者の雑誌である『マッセス』の編集を担当していた。リードは真実を書き留める誠実な記者としてロシア革命を目撃したいと述べていたにもかかわらず[1]、この本の序文にて「私の同情心は決して中立的なものではなかった」と述べている[1](そのためこの本はボリシェヴィキの観点に傾倒したものとなっている)。この本は私が見てきた歴史を強調した1ピースである。この本では偽り無く、ありのままにあの11月を説明した[note 2]。 労働者と兵士の代表であったボリシェビキは革命によってロシアの国家権力を手に入れ、権力をソビエトの手に委ねた。ジョン・リード[1]

リードがロシアに向けて出発する前、1917年のスパイ活動法が6月15日に可決された。スパイ活動法は兵士の募集を妨げる者は無条件に投獄でき、反戦感情を助長するような新聞や雑誌を郵送することを禁じる法律であった。アメリカ合衆国郵便公社はこの法律を満たさない郵便物は配送を拒否する権利が与えられ、基準を満たさない雑誌は郵送することができなかったので、公的な出版物と見なされなくなった[2]。このため、『マッセス』は1917年の秋にアメリカ合衆国連邦政府による出版の差し止めを余儀なくされた。1917年秋は第一次世界大戦を背景とした雑誌政策の変更が拒絶された後であった。『解放者』はマックス・イーストマンと姉妹の個人の運営によって創設されたが、『解放者』はリードのロシア革命に関する記事を載せていた。このような雑誌の存続のための努力の中で、イーストマンは自身の見解について徐々に妥協するようになった[3]

ロシアを発って1918年の4月にノルウェーのクリスチャニア(現・オスロ)から帰途につく中、2月23日以来アメリカ合衆国国務省によってアメリカに旅立つことかロシアに戻ることのどちらかを禁止された。リードのトランクの中の革命に関する記事やノート(ビラ、新聞や演説も含む)は税関の職員によって取り上げられた。税関の職員はリードが過去8か月の間にロシアでどのような活動を行っていたのか4時間ほど尋問した。マイク・ゴールドはリードがマンハッタンに到着したことを目撃しており、「法務省の職員の群れが彼から服や荷物を剥ぎ取り、彼を激しく尋問していた。リードは船の中で食中毒になっていた。この尋問は苦痛なものであった」[4]と振り返っている。1918年の真夏に自宅に帰るまでの間、リードは革命の鮮明な印象が徐々に消えていくことを心配しており[5]、政府によって取り上げられて返却を拒否された新聞を取り返すことに苦戦した。

リードは7か月後の11月まで資料を取り戻すことが出来なかった。リードが本を書くために一人でいる間、マックス・イーストマンはシェリダン・スクエアの中央でジョン・リードとの会談を思い起こした。彼は世界を揺るがした10日間を昼夜を問わず10日以上書き続けている。彼はやつれて、髭も剃らず、肌は油切って、全く寝ていなかったので、彼の姿は半狂乱で顔はじゃがいもの様で、夜の作業が終わるとコーヒー一杯のために降りてきた。

「マックス、私が所在を誰にも言わないでくれ。私は今ロシア革命の本を書いている。僕は全てのビラと新聞をロシア語の辞書を使って小さな部屋に並べて、昼夜通して働いている。私は既に36時間の間眠っていないが、2週間以内にこの仕事をすべて終える。そしてこの本をこのように命名するー世界を揺るがした10日間とー。さようなら。私はまたコーヒーを飲んで、仕事を続けるので私が所在を誰にも話さないでくれ!」

私が彼の状態を強調していると思いますか。彼が小さな部屋であまり良く分からない言語で書かれた新聞を天井にまで積み上げて、小さく使い古した辞書と記憶と権利を手に入れるための決意と見事な想像力で2,3週間で書き上げた作品と比べてアメリカ文学にはあまり優れた功績がない。しかし私が今何よりも言いたい事はあの朝の彼の喜びに満ちた狂気の目である。彼は偉大な本を書き上げた。そして彼はこの本をこのように名付けた。「世界を揺るがした10日間」と![6]
評価

『世界を揺るがした10日間』は1919年に出版されてから、賛否両論、様々な反応を持って受け取られた。しかしこの本は最初に出版された当時、一部の批判家はリードの政治的信念に反する批判を行ったが、全体的に好意的な評価を受けた[7]

アメリカの外交官、歴史家で、封じ込め政策の父として知られるジョージ・ケナン共産主義に共感しなかったにも関わらず、この本を賞賛して、次のように述べている。

「リードによるロシア革命の説明は文学の力と洞察力と詳細についての 展望によってこの時代を記録し、この出来事を忘れた時あらゆる人に思い出させるだろう。」ケナンは眩しいほどの誠意と純粋な理想主義は想定外のアメリカ社会からの信用を勝ち取り、リード自身はこの利点を理解しなかったものの、結果としてこの信用がリードを守ったと見なしている[8]

1999年3月1日、『ニューヨーク・タイムズ』紙はニューヨーク大学のジャーナリスト作品ランキング100位の中で[note 3]『世界を揺るがした10日間』を7位に挙げている[9][10]


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