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世田谷区立世田谷小学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度38分59.49秒 東経139度38分41.31秒 / 北緯35.6498583度 東経139.6448083度 / 35.6498583; 139.6448083
世田谷区立世田谷小学校(せたがやくりつ せたがやしょうがっこう)は、東京都世田谷区宮坂1丁目にある公立小学校。
沿革
1933年(昭和8年)
1月9日 - 東京府東京市世田谷尋常小学校として開校[3][4]。桜尋常高等小学校から374名が転入[4]。
1月28日 - 講堂落成式を挙行。
1935年(昭和10年)3月25日 - 校旗を制定。
1936年(昭和11年)12月14日 - 校舎を増築[5]。
1939年(昭和14年)3月25日 - 校歌(作詞:大木惇夫、作曲:平井康三郎[6])を制定。まことの碑を設置[4]。
1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、「東京府東京市世田谷国民学校」に改称[4]。
1942年(昭和17年)7月1日 - プールを落成(15m×7m)[4]。
1943年(昭和18年)
2月1日 - 山崎国民学校の開校[1]に伴い、4年生以下30人が転出[4]。
7月1日 - 東京府と東京市が統合した東京都発足(東京都制施行)により、「東京都世田谷国民学校」に改称[4]。
1944年(昭和19年)8月31日 - 戦局の悪化により、新潟県北魚沼郡小出町と堀之内町へ集団疎開[4]。
1945年(昭和20年)
5月 - 校舎を、焼失した世田谷区役所庁舎の仮庁舎として利用開始[7]。
5月25日 - 戦局の悪化により新潟県南蒲原郡白根町へ第2次疎開し、一旦休校[4]。